夜。ある街の宿屋。
１人の少女がその廊下を歩いていた。相当に眠いらしく、しきりに目をこす
っている。不意に、ある部屋の前で立ち止まった。その部屋から、彼女の嗅覚
に引っかかる、そして食欲をそそる「何かが」したのだ。
いつもの少女であれば、それを無視して自室まで戻ったであろう。が、この
時、強烈な睡魔のせいで少女の自制心はほとんど働いていなかった。その「何
か」に引き寄せられるように、少女はその部屋に入っていった。
部屋の中には、既に誰かがベッドの中に潜り込んでいた。が、少女はその人
物に構わず、いや、どちらかと言えばその人物に引き寄せられるように、ベッ
ドに潜り込んだ。
ベッドで眠っていた若者は、自分の背後に誰かがいることに気付いた。が、
その「誰か」から敵意や殺気のたぐいを感じなかった事、そして何より、その
気配が自分にとって大切な人のそれであった事から、意識が覚醒する事はなか
った。
その代わりに、夢うつつのまま寝返りをうった。すると、その「誰か」の顔
がすぐ目の前、ほんの５センチほどの所に来る。暗い部屋ではあったが、それ
でも誰であるかは識別出来た。やはり彼にとって大切な人であった。彼はほと
んど無意識にその人の背中に腕を回した。そして、その人の温かさを感じたま
ま、再び深い眠りに引き込まれた・・・。
翌朝。
「クション！！」
ティナのベッドに潜り込んでいたフィリーは、くしゃみと共に目を覚ました。
寒さのために体が震える。その原因がティナの不在のせいだと気付くと、フィ
リーは誰にともなく文句をぶつけた。
「あー、もう！何でいないのよ、ティナったら！！あたしが風邪ひいたらどう
する気よ！！」
勝手に他人のベッドに潜り込み、相手の好意で「寝かしてもらっている」身
の割に、不条理な怒りと言える。が、フィリーはさらに言い募った。それでも、
５分も言えばネタもさすがにつきる。彼女は軽く息をつくと、窓から外へ出た。
「しょーがない、ちょっと散歩でもしてこようっと！」
パタパタと羽を動かしつつ、ティナの部屋の隣−フィリーが道案内を務めて
いる、異世界から来た武雄という若者が寝ている−の窓の前を飛びすぎるつい
でに、ちらりと部屋の中に視線を走らせる。そこには１つのベッドに２人が仲
良く寝ていた。それが誰か識別したフィリーはその名を呟いた。
「なんだ・・・ティナは武雄の所にいたの・・・」
何の気なしに呟き、そのまま飛び去ろうとした。が、不意に硬直した。羽す
ら動かない。フィリーは自分の一言が持つ意味を急激に理解した、してしまっ
たのだ。
「ティナが武雄と一緒・・・？」
呟くと同時に、目がつり上がった。続いて小規模なつむじ風を起こして、武
雄の部屋に飛び込んだ。
「ちょっとーーー！！！何してんのよーーーーっっっっっ！！！！」
「わっ！！」
「きゃっ！！」
宿屋中に響きわたるフィリーの怒号に、武雄とティナは短い叫びと共に跳ね
起きた。
「何なんだよフィリー、朝っぱらから？」
「あ・・・おはようございますフィリーさん」
そう言った直後に、２人仲良く硬直した。たった今聞いた「この場所で聞く
事が出来ないはずの声」が２人の思考を止めたからだ。お互い、ぎこちない動
きで声のした方を振り向き・・・武雄はティナが、ティナは武雄が、すぐ隣に
いる事に気付いた。
『ええーーーーーっっ！！！』
もう一度、宿屋中に響きわたる大声が起こった。
「ティ、ティナ！？何で！？ここ、俺の部屋だよな！？」
「た、武雄さん？えっ？えっ？」
完全にパニック状態のティナ。それよりは少しは落ち着いている武雄だが、
混乱しているのは明らかであった。そんな２人に、フィリーは冷たい声を投げ
かける。
「あんたの部屋よ。あたしがティナの部屋で寝ていたんだから。そんなことよ
り・・・さあ、どういうことなのか聞かせてもらおうじゃないの！？」
ところで、これだけ派手に大声を出せば、他の宿泊客が起きるのは当然と言
える。そして、その大声の出ている部屋に何か言いに行こうとするのも、また
無理のない事だと言えるだろう。
そして、その無理のない事を真っ先に実行したのは、武雄、ティナと同じパ
ーティを組むアルザと若葉だった。
「なんやぁ〜、朝っぱらからやかましーなぁ〜」
アルザが長い赤毛をかき回しつつ寝間着姿のまま姿を見せれば、若葉はいつ
もの袴姿で柔らかい微笑みと共に現れた。
「お早うございます。朝早くからどうなさったんですか？」
・・・そして、２人とも、「ベッドの上で寝間着姿のまま座るティナと武雄、
そして２人をすわった目つきでにらむフィリー」を見つけた。２人がその情景
をどう理解したか、それはそれぞれの次の言葉が物語っていた。
「なんや、寒いから武雄の所に行ったんか。ウチもそないすればよかったわ」
いたってのんきなアルザの声、どうやら「寒いから暖を取りに武雄のベッド
に潜り込んだ」という解釈に達したらしい。一方、若葉の方はまた別の解釈に
達したらしく、これ以上ないほど真剣な怒りの表情をたたえて２人をひたと見
据えた。
「武雄さん、ティナさん」
『は、はいっ！！』
意外に迫力ある若葉の静かな声に、２人そろって思わずその場に正座をして
しまう。
「一体何を考えているんですか！？年頃の男女がベッドを共にするなんて！！
はしたないと・・・」
延々と続きそうな若葉の説教。武雄は、若葉の誤解を解こうと何度か口をは
さもうと試みたのだが、そのつど日頃のおっとりした雰囲気からは想像も出来
ないほど剣呑な視線に貫かれて沈黙せざるおえなくなる。このまま彼女に絞ら
れれば、そのまま干物ができたであろう。そんな２人に、意外な救いの女神が
訪れた。カイルパーティのカレンとリラが、姿を見せたのだ。
「うっさいわねぇ、何なのよ一体！？」
「若葉ちゃん、怖い顔しているけど、どうしたの？」
よほどに激しい怒りを抱いているらしい若葉は、何も言わずに部屋の中をゆ
び指した。カレンとリラは中をのぞき込み・・・その光景を見て、たっぷり５
秒ほど沈黙した。そして２人は互いの顔を見合わせた。互いの顔に全く同一の
結論が出ている事を見て取ると、２人は同時に自分の手のひらを拳でポンと打
った。
「何だ、そういうこと、ヤボなことしたわね」
とリラがニヤニヤ笑いを浮かべて言えば、カレンはうれしそうに
「そういうことなら、早速お赤飯炊かなきゃ」
「お赤飯」の意味を悟ったティナは湯気でも出そうなほど真っ赤になってう
つむいてしまった。一方の武雄は思わずわめく。
「だーっ！！勝手に決めつけるな！！俺達は赤飯炊いてもらうような事はして
無い！！」
「あら、じゃあ、もうずっと前からそういう仲だったの？キミたち？」
「カ〜レ〜ン〜」
さすがに剣呑なうなり声を上げる武雄。その手には〈ヴァニシング・レイ〉
用魔力を集めた光球があった。それを見たカレンとリラは、さすがに身構える。
一同、セアレスのゴーレムすら叩きのめせる実力者達ぞろいである。本気で喧
嘩などやらかそうものなら、木造二階建ての宿屋など一瞬で吹っ飛んでしまう
であろう。宿屋の関係者が全くあずかり知らぬ所で宿屋消滅の危機を迎えてい
たのだが、たった１人の少女がその場に乱入したことで、その危機だけは回避
された。
乱入した少女は、部屋をのぞき込むなり叫んだのである
「ふ、不潔よ、あんたたち！！」
「げ、レミット・・・」
見覚えがありすぎる金髪の少女の声を聞いたとたん、武雄は脱力したように
壁によりかかった。魔力のかたまりである光球も、既に消え失せていた。
「何だって次から次へと・・・」
「姫様、落ち着いて！」
武雄のぼやきにアイリスの制止の叫びが重なる。続いて一緒に姿を見せたメ
イヤーも、軽快な声でレミットをなだめる。
「そうですよ、レミットさん。こういう時は、まず、当事者から話を聞かない
と」
その一言を聞いて、武雄はようやく話を聞いてくれる人が現れたかと内心喜
んだが、それも一瞬のはかない喜びにすぎなかった。
奇妙に眼鏡を光らせつつ振り返ったメイヤーは、ティナにこう質問したのだ。
「と、いうわけでティナさん。昨晩、武雄さんとどんな事をなさったのか、詳
しく教えていただけませんか？」
「なんでそーなる！？」
「だって、昨日のパーティで寝込んだティナさんを部屋に運んだの、武雄さん
じゃないですか」
いつの間にか現れたウェンディが、否定出来ない事実を口にした。続けて冷
たい一言。
「不潔です・・・」
ジト目で言われて、武雄はもう一回叫んだ。
「だ〜か〜ら、違うってばぁ！！」
「何が違う！見損なったぞ！！魔宝も残り１つだというのに女にうつつをぬか
して・・・」
いきなり部屋に駆け込んで武雄の非難をはじめたカイルだが、最後まで言う
ことは出来なかった。なぜなら・・・
「やかましい！これでもくらえっ！！」
「うるっさいわねぇ、ぶん殴るわよ！！」
「宿屋で暴れる悪い子にはお仕置きよ！！」
という一言と共に放たれた武雄の右ストレートを顔面に、リラの肘打ちをみ
ぞおちに、カレンの回し蹴りを後頭部に、それぞれ食らって、撃沈されたから
だ。
レミットと同じ「愛すべき妨害者」なのに扱いがえらく違うが、誰１人とし
て気にする者はいなかった。やはり、男女差別というものは厳然と存在してい
るのかもしれない。
それはさておき、
「何やら騒々しいのですが、一体、どうしたのですか・・・」
「ああ、楊雲、いいところに。実は・・・」
他の誰かに説明されて誤解されてはたまらない、とばかりに武雄が素早く説
明する。
「そうですか、そのような事が・・・」
「でもねぇ、あの光景見て『誤解するな』って言われても、それは無理な相談
だと思うわよ」
「誤解ですよ・・・」
「えっ？」
楊雲の静かな一言に、口を挟んだカレンは思わず目を丸くした。その横から
叫ぶレミット。
「どうして分かるのよ！？」
「気配で・・・」
「気配？」
「はい、皆さんが想像されているような事が昨晩あったとしたら、この部屋に、
まだ、その気配が残っているはずなのですが・・・」
「残ってないんか？ウチには分からへんけど」
「はい・・・」
「じゃ、じゃあ、この光景はどう説明するのよ！！」
「それは、お２人に話を聞くしかないでしょう・・・ここで追求していても、
どうにもなりません・・・」
「楊雲さんもこう言っていることですし、とりあえず、着替えましょう、姫様」
「わ、分かったわよ！」
レミットは、どこか悔しそうに叫ぶと、武雄に指を突きつけた。
「武雄っ！！洗いざらい話してもらうからね！覚悟しなさい！！」
「はぁ、なんでこんな事になったんだろう？」
しみじみとした武雄の呟きであった。
一階の食堂で、武雄、ティナの２人から昨日の記憶を一通り聞いた一同は、
さっそく分析にかかった。分析といったところで、結局のところ、結論は２通
りしか存在しないのだが・・・。
「やっぱり、武雄クンが部屋に引き込むか、ティナちゃんが寝ぼけて入っちゃ
ったかしかないわね」
カレンはそう結論付けた。と、いうか、それ以外に考えようがないのだ。
「２人が示し合わせてごまかしている」という可能性もレミットが言いたてた
が、リラの「この２人にそんな器用なまねが出来るはずない」というもっとも
な反論により、それはないという結論に達していた。
「そりゃまぁ、そうだろうけど・・・」
武雄は口ごもった。ここで「引き込むなんてやってない」と主張するのは簡
単である。だが、そうなると（意図してか、寝ぼけてかは別として）ティナが
武雄の部屋に入り込んだことになる。それは、ティナ１人に責任を押し付ける
ようで、彼は気が進まなかった。
「ま、どっちにしろ、ただの事故みたいなもんでしょ。そんなに気にしなくた
って・・・」
「そない言うけど、ティナが武雄の側で寝てるの、今日が初めてやないで」
「へっ？」
アルザの一言に、ケリをつけようとしたリラは、思わずお茶を飲む手を止め
てしまった。
「ここんとこしばらくの事なんやけどな、野宿した時の朝は必ずいうくらい、
２人よりそって寝てるで」
「な、何ですってぇ！！」
「ひ、姫様〜」
アルザが、一切の悪意無しに放った言葉の爆弾に、レミットが絶叫した。慌
てて止めるアイリス。終わりそうにない議論に頭を抱えてしまった武雄は、こ
れ以上ないほどの疲労感をにじませた声を出した。
「・・・カレン、リラ、頼みたいことがあるんだけど・・・」
「何よ？げんなりした声出しちゃって」
「今晩、俺の部屋とティナの部屋を見張ってくれないか？依頼料は払うから」
「それはかまわないけど、どうして？」
カレンの問いに、武雄は力無く背後を指し示した。
「視線が痛くってさ・・・」
「なるほどね」
納得の頷きと共に、カレンは楽しげに小さく笑った。武雄が指した先には、
ちょっとなんて表現では収まらないほど剣呑な視線で彼をにらむ若葉、フィリ
ー、ウェンディ、レミットの４人がいたのだった・・・。
さて、その夜・・・
「リラちゃん、そっちはいい？」
「良く寝てるわよ。そっちは？」
「楊雲ちゃんをつけているから大丈夫。若葉ちゃんとアルザちゃんがちょっと
心配だけど・・・」
武雄の部屋から出てきたカレンは小声で答えた。その返答に、リラは軽くう
なづくと武雄の部屋の向い側に位置する若葉の部屋に滑り込む。ドアをかろう
じて外がのぞける程度に開け、カレンは武雄、ティナ、２人の部屋が見張れる
事を確認した。
「よし、大丈夫ね」
「ま、こんなもんでしょ」
と、いつの間にか側に来ていたリラ。そのままの姿勢で問いかけた。
「で、どっちが先に見張るの？」
「私が先にするわ。リラちゃんは休んでて」
「それじゃ、何かあったら起こしてよ」
カレンにそう返すと、リラはベッドに潜り込んだ。
一方、武雄の部屋に潜む若葉、アルザ、楊雲の３人は・・・
「すーすー・・・」
「ぐーぐー・・・」
楊雲１人を残して眠ってしまっていた。
「・・・しかたがありませんね・・・」
楊雲はポツリと呟くと、目を閉じて何事か頼み事を口にした。すると、ゆる
やかな風が起こり、彼女の艶のある黒髪が揺れ舞った。
「・・・申し訳ありませんが・・・」
そう言って眠りこける２人をゆび指す。そのしぐさに応じて風が動く。する
と、若葉の寝息も、結構な大音量のアルザのいびきも聞こえなくなった。
「これで静かになりましたね・・・」
楊雲は、風の精霊に頼み、２人の寝息といびきが聞こえないように遮音結界
を張ったのだ。そして、彼女は闇でじっと待つことにした。
月が中天にさしかかった頃、最初の動きが起こった。
「リラちゃん」
カレンのささやくような声。だが、現役のシーフであるリラにはそれで十分
であった。
「何かあったの？」
カレンは答える代わりに隙間を指し示した。リラが黙って覗くと、寝間着姿
のティナが廊下を歩いている所であった。
「やっぱり寝ぼけて・・・」
「結論にはまだ早いんじゃないかしら？」
結論づけようとするリラに比べて、カレンは慎重だ。確かに、その通りであ
った。２人が見つめる中、ティナは武雄の部屋の前を通り過ぎてしまったのだ。
「あらら・・・」
「ほらね、でも、どこに行くのかしら？」
「ちょっと、追ってみる」
リラはそう言って、音もなく廊下へと滑り出した。
（何する気かしら？）
ティナはそのまま階段を降り、台所へと向かう。コップを取り出し、客のた
めのポッドの水をそれに注ぐ。
（た、単に水を飲みに来ただけ！？）
あまりにありきたりな光景に、リラは心の中で突っ込みを入れていた。
（ったく・・・人騒がせな・・・）
ぶつぶつと文句をたれる。と、そこへリラの耳が別の音をとらえた。
ガサゴソ・・・
（ん・・・？）
辺りを注意深く見回す。すると、そこには何やら懐から取り出そうとしてい
る男の姿があった。
（なんだ、泥棒か・・・）
あっさりと断を下す。どうやら、殴打用のブラックジャック（中に砂などを
詰めたもので、気絶させるのに用いる）を取り出したようだ。
（二流ね）
またまたあっさりと評価する。入ってきた者をみさかいなしに襲おうとする、
そのことが、その評価の正しさを裏付けていた。
本来、泥棒などというものは、誰にも気付かれることなく侵入し、目的のも
のを盗み、そして立ち去るべきものなのだ。何者かが近づいて来たからといっ
て、片端から襲うなどというのは、泥棒自身の手がかりを与えてやるようなも
のだ（別に、そのような事を気にしなくて良い場合もあるが）。その辺りを理
解していないから「二流」なのだ。
（とはいえ、ほっとくワケにもいかないか・・・）
ここでティナが気絶してもらっては、こちらが困る。面倒ながら、泥棒をと
っつかまえるために、リラは音もなく動いた。
（ったく、隙だらけね）
実際、泥棒はティナ１人に意識を集中するあまり、周囲への注意を怠ってい
た。これは、致命的だった。リラは泥棒の背後に忍び寄り・・・
ガッ！
「うっ・・・」
リラに後頭部を強打され、何が起こったのか分からぬままあっさりと気絶す
る泥棒。そんな泥棒に、リラは側にあった袋を頭からかぶせて、その口を厳重
に縛った。余った紐で足を縛る。これで、泥棒が目を覚ましても、何も出来な
くなった。紐をほどく手は上半身もろとも袋の中であるし、袋を閉める紐の結
び目は足の方にある。ま、自力でほどくのは、いささか無理であろう。
これだけの作業を、物音１つ立てずにやってのけたリラは、小さく呟いた。
「一丁上がり、っと・・・ま、死なれちゃ後味悪いから、っと・・・」
ナイフで注意深く、空気穴代わりの切れ目を入れる。と、そこで動きが止ま
る。ティナ以外の何者かの気配を感じ取ったのだ。無言で身構えつつ気配を探
っていると、その何者かが小声で話しかけてきた。
「リラちゃん、私よ私」
「カレン、アンタ一体何やってんのよ？」
「ゴメン、リラちゃんが遅いから気になっちゃってね。どうしたの？」
「こそ泥一匹、片づけてただけよ。それより、ティナはどーしたのよ？」
「たった今、ここを出ていったけど」
「それは、アタシだって知ってるわよ。どこに行ったかって聞いてんの」
「部屋じゃないかしら」
「ないかしら・・・って、確認してないの！？」
思わず声が大きくなる。誰の注意も引かなかったのは幸いだった。
「だから、こっちが気になったんだってば。まだ、階段の所にいるわよ」
カレンのあっけらかんとした返答に、リラはため息をつきたくなった。だが、
いつまでもそうしてはいられない。足音どころか動いた気配すら感じさせない、
それでいて素早いという見事な身のこなしで、ティナを追った。
「いた」
小声のリラ。その目は、ちょうど踊り場にさしかかったティナをとらえてい
た。すぐにその姿は彼女の視界から消えるが、その後は追わない。何しろ、こ
の階段、古いせいかよくきしむのだ。ティナが上に行ってしまうまで待たない
と、階段がきしむ音で彼女に感づかれる可能性がある。
「困ったわねぇ」
「何、他人事みたいに言ってんのよ」
まぁ実際問題、カレンが上で見張っていれば、さして問題にはならなかった
であろう事を考えれば、リラの発言も無理はない。だが、そこはカレンも元冒
険者、ぬかりはなかった。
「大丈夫、武雄クンとティナちゃんの部屋のドアに糸を張っておいたから」
細い糸を張って、侵入者等の有無を調べる。古典的な手法である。カレンは
下に行く前に、ドアから壁に向けて糸を張っておいたのだ。
「あのねぇ・・・」
何か言いたげなリラのジト目も、カレンには通じない。ちょうどその時だっ
た、２人の耳にドアが開き、そして閉じる音がしたのは。
「行くわよ」
リラの短い宣告。最初にリラが、続いてカレンが階段を上った。当然ながら、
ティナの姿はない。リラが辺りを見回す間に、カレンはドアに張った糸を確認
する。
「リラちゃん・・・」
「なによ？」
「武雄クンの部屋だけ、糸が切れてる・・・」
「それって・・・」
リラの問いかけに、カレンは無言で頷いた。
ティナは、武雄の部屋に入ったのだ。
時間をカレンとリラがドアの開閉音を聞いた直後まで戻す・・・。
武雄の部屋の中、闇に溶け込むかのように隠れていた楊雲は、ティナが入っ
てくるのを確認した。そのティナの表情は、単に眠いというだけに留まらない、
うつろなものであった。
「これは・・・」
楊雲は、言葉を失った。今のティナには意識が存在しなかった。世に言うと
ころの夢遊病というものだが、ティナの場合、少し違うようであった。
「ティナさん・・・」
楊雲の呼びかけに、うつろな目で振り返るティナ。これで、楊雲はある確信
を持った。その確信に、彼女は１つため息をつく。
そんな彼女に興味を失ったのか、ティナは武雄に顔を向け、ふらふらと近づ
く。
それを見た楊雲は、それを止めるべく行動を起こした。ティナの前に立ちは
だかり、その目の前で鋭く、強く、手を打ち合わせた。その鋭い音に、ティナ
はビクッと身体を震わせたかと思うと、正気を取り戻した。
「あ・・・楊雲さん？どうして・・・？」
「・・・目は覚めましたか？・・・」
困惑するティナに、楊雲はいつもと変わらぬ、物静かな声をかけた。が、こ
の静かな声が、人を落ち着かせるのに役に立つ。が、この声に、別の人物が応
じた。
「おかげさまで」
「！！」
「武雄さん！」
無言で驚く楊雲と、思わず声が大きくなったティナの見守る中、武雄はあく
びしながら起きあがった。
「起こしてしまいましたか・・・」
「まぁ、耳元であんな音を立てられればね」
苦笑混じりに受ける武雄に、ティナは困惑しきって問いかけた。
「あの、一体、どういうことなんでしょうか？それにここは・・・？」
「俺の部屋」
「ええっ！？」
「どうやら、完全に寝ぼけて・・・いえ、夢遊病と言った方が良いかもしれま
せん・・・」
「あの・・・それじゃ、私が、武雄さんの部屋に・・・？」
「はい・・・」
「ご、ごめんなさいっ、武雄さん！」
真っ赤になって頭を下げるティナ。謝られた武雄はパタパタと手を振って応
じた。
「気にしなくていいって。ティナだったら、俺も別に悪い気は・・・」
思わず口走った事の意味に気づき、慌てて口をふさぐ武雄。言われたティナ
はただでさえ赤かった顔を、さらに赤くし、湯気が出始めていた。そんな２人
に、楊雲は珍しくも苦笑を浮かべた。だが、一瞬後には真顔に戻ってこう告げ
た。
「お二人とも、仲良くされるのは後にして、対策をお話したいのですが・・・」
「そ、そうだな。ただ・・・ちょっと場所を変えた方がいいかな？」
「そうですね・・・外で聞いている人もいるようですし・・・」
「あはは、バレてた？」
茶目っ気たっぷりの微笑みと共に、カレンが姿を見せた。その後ろには他人
の振りをして明後日の方向を向くリラがいたのだった・・・。
「そう、だったんですか・・・」
楊雲の部屋で、一通りの事情説明を受けたティナが申し訳なさそうにうなだ
れた。そんな彼女をこれ以上落ち込ませないように、武雄が口を開く。
「でも何だって寝ぼけるんだ？やっぱり、無理をさせすぎたせい？」
「そうでは無いでしょう・・・」
「そうねぇ。もし無理をしたのなら、ティナちゃんは倒れると思うわよ」
「じゃあ、何が原因？」
いたって素朴なリラの疑問に、楊雲が答えた。
「・・・おそらく、精神がたかぶっているせいでしょう・・・」
「精神が？」
武雄の声に、楊雲は頷く。
「もうすぐ、この旅も終わります。１年近く続いた旅も終わると思えば、多少
の感慨を持ってもおかしくはありません・・・」
「って、ことは・・・旅が終われば治る、ってわけね」
「おそらく・・・」
リラの結論に頷く。その結論に、武雄は少し疲れた笑いを浮かべた。
「で、今の状態の解決はどうすればいいんだ？」
「あら、別にいいじゃない？何だったら、添い寝してあげたら？」
「カレン！！」
冗談であろうことは彼も理解できるのだが、それでも反射的に顔が赤くなる。
対するカレンは平然たるものだ。またぞろまぜっ返し大会の開催かと思われた
時、そういう意味での周囲の混乱に一切影響を受けない楊雲が口を挟んだ。
「私が薬を処方しておきます・・・しばらくはそれで問題ないでしょう・・・」
「助かる」
ただ１人真面目に応対してくれる楊雲に、武雄は心からの謝意を込めて頭を
下げる。そんな彼に、「気にすることはない」とでも言うように軽く頷いて見
せると、楊雲はティナに向き直った。
「そういう訳ですので、ティナさん、少し私にお付き合い下さい、お話しした
いことがありますので・・・」
「で、アタシ達は？」
「もう夜も遅いし、このまま寝ちゃいましょ」
「そうだな。みんなには、明日、話すことにするか」
「ちょっと、依頼料は？どさくさにまぎれて踏み倒そうったって、そうは行か
ないわよ」
「・・・明日、払うよ・・・。とにかく、寝かせてくれ・・・」
ずいっとせまるリラに、武雄は疲れ切った口調で答えた。
３人が去り２人きりになると、ティナはおずおずと問いかけた。
「あの、楊雲さん。お話しって・・・」
「ティナさん自身が既にご存知だと思っていましたが・・・」
「・・・」
その一言に、ティナは黙ってうつむいた。だが、楊雲は構わず言葉を継いだ。
「どんな生き物でも、眠ることと食べることをしないものはいません・・・無
理に押さえれば、どこかがゆがみます」
「分かっています・・・」
ティナの声は、微かに震えていた。そして、今にも泣き出しそうな表情の顔
を上げたかと思うと、身体同様に震える声で叫んでいた。
「分かっています！でも、でも、怖いんです！」
「ですが・・・」
「私・・・押さえなかったら・・・きっとあの人を死なせてしまいます・・・
それだけは・・・」
かたくななティナの呟きに、楊雲は小さいため息をついた。
「・・・私に言える事は多くありません・・・ですが、あるものを制すること
と、単に押さえつけることは、全くの別物ですよ、ティナさん・・・押さえ
つけるだけでは・・・」
「・・・はい・・・」
そんな２人の会話を、武雄はしっかり聞き取っていた。
（一体、何の話なんだ？薬の処方の話じゃないし・・・）
以前、名医として知られるフォインの所におもむいた時も、ティナの不調と
は全く関係なさそうな話をしていた。今回はさらに無関係な話であった。
（ティナがどうしたっていうんだ？）
事態が不分明な事が、彼の不安を増幅していた。どうやら、楊雲には分かっ
ているようなのだが・・・
（後で、楊雲を問い詰めてみるか？）
そんな、物騒な事まで考えた時・・・
「こ・ら☆」
声量こそ押さえてはあるものの、茶目っ気を含む陽性の声と共に、彼の首に
腕が絡んできた。
「わっ、カ、カレン！？」
「こんな所で何してるのかな、きみは？」
「えっと、その・・・」
「盗み聞きなんてせこせこした真似をしないの。ティナちゃんが心配なのは分
かるけどね」
「いや、だから・・・」
「と、言うわけで、部屋に戻ろうね、武雄クン☆」
ずるずるずる・・・
カレンは首に絡ませた腕一本だけで、武雄の身体を引きずって行った。
武雄の疑問に対する回答と、ティナの悩みの解決、両方がなされるのは、彼
らが双面山の魔宝を手に入れた、その後の話になる・・・。
そして、「Ｄａｒｋ Ｂｌｏｏｄ」へ・・・
後書き
松です。ふいー、ようやく終わった。計４本くらい同時執筆してたからもの
だから、しんどかったです。
さて、この「夜ごとさまようもの」は、ニフティのある企画で作った設定を
流用して書いたものです。主人公、武雄はこの企画内で、私が書きやすいよう
に命名したキャラです（元ネタ、パトレイバーにあらず）。
このＳＳは「各キャラが空腹のあまり寝ぼけたら、どうなるか？」を考えた
時、「寝ぼけたティナは・・・主人公のところに行くのでは？」と言ったのが
きっかけ。かくして、冒頭の「ティナの夜這いシーン」が出来上がったわけで
す（笑）。
・・・本当なら、ギャグだけで終わらせるはずだったのですが・・・なんで
終わりでシリアスになるかなぁ；まぁ「Ｄ」事件直前ともなれば、そうそうお
ちゃらけてもいれないのですが・・・。まぁ、本命は冒頭で全部書いたから、
不満はないのですが。
本当は、いろいろと落としたシーンもあります。のされたカイルをキャラッ
トが引きずって行くシーンとか、ティナの部屋に張り込むレミット＆アイリス
とか・・・。書いていく途中で、きれいさっぱり忘れてしまいましたが（笑）。
もう一つ、ここのところ、ＥＭをプレイしてなかったせいでキャラを忘れて
いる部分があるという・・・；一人称、二人称、言葉づかい等がおかしいかも
・・・特にカレン＆リラの言動は妙かも；カレンが「お気楽お姉さん」になっ
ているし・・・
私にしては短いＳＳ、お楽しみいただければ何より。
感想、ご意見などは掲示板へどうぞ
松