「ん・・・」
デアリングは、窓から射し込む陽の光と、漂ってくる料理の匂いによって目
を覚ました。と、いっても、本格的な覚醒にはほど遠く、寝返りをうったかと
思うと、また動かなくなる。そのまま再び心地よい眠りに落ちようとすると、
今度はもっとはっきりとした刺激で、意識を急浮上させられた。まぁ、はっき
りとした刺激と言っても、大声であるとか、水をぶっかけられるとかいう、刺
激ではない。むしろ物柔らかな、ある意味においてはひどく甘い、刺激であっ
た。
「デアリングくん、朝よ。起きて」
朝食を作りに来たヴァネッサの声と、何より鼻先をくすぐる彼女の髪とその
香りとで、今度こそ目を覚ますことになった。
「ん・・・」
「ほら、起きて、朝ご飯、出来たわよ」
起きたと見るや、ヴァネッサは肩を揺すって、意識をしゃんとさせようとす
る。元々、寝起きの悪い方ではないデアリングである。ここまでされれば、さ
すがに再び寝る、ということはない。もっとも、慢性的な睡眠不足ではあるた
め、ぼーっとしてはいるのだが・・・
「あー、おはよー、ヴァネッサ・・・」
頭同様にぼーっとした声を出す。表情も同じように、ぼーっとしている。寝
巻きが着崩れ、肩口がのぞいたりしている。まぁ、いつもの事なので、そんな
姿を見たところでヴァネッサも動じなくなっている。
「ほら、早く降りて来て。冷めちゃうわよ」
「んー」
どこまで理解しているのか疑わしい返答を返すと、デアリングは掌でこめか
みのあたりを２度叩いた。それでようやく頭の回転が普通になってきた。軽く
髪をかき回しつつ、ロフトベッド（高床式のベッド。床下は空間になっている）
を降りると、ベッドの床下に吊るしてある服を取り出して着替え始めた。
いくら相手が気にしないといっても、年の近い女性の前に着崩れた寝巻き姿
で出るほど、無神経でも無作法でもないのだ。
簡単に服を調えてリビングに行くと、炒り卵と炒めたベーコン、それに軽く
焼いたマフィンという朝食が、ヴァネッサ共々待っていた。
ちなみに、ヴァネッサの料理の腕について、デアリングは全く心配していな
い。ごちそうを作ろうと力みかえっている時は別だが、こういうごく日常的な
料理を作るのであれば、十分においしい料理を作れるのだ。
今日も例外ではなく、日頃の質素とか粗末とか言う前にわびしい食事と比べ
れば、いや、そもそも比べること自体が間違っていると言い切れるほど、美味
い朝食にデアリングはありつけたのだった。
「ねえ、デアリングくん？」
「ん？」
「今日、何か用事とか入れてる？」
食後の紅茶を口にしたところで、ヴァネッサからそう尋ねられた。それに対
するデアリングの回答は、ごくごくあっさりしたものだった。
「いや、今日は特に何もないけど？」
魔力銃用の魔法式の作成は、昨夜の内に終わっている。それ以外に、特に急
ぎの用件はない。
「それなら・・・」
その答えに、ヴァネッサは軽く身をのり出した。
「今日、私と一緒に出かけない？」
突然の誘いに、デアリングは目を丸くした。ヴァネッサがその当日になって
誘ってくるのは、本当に珍しいからだ。いつもであれば、彼女は遅くともその
前日までに誘い、約束を取り付けている（ちなみに、イヴは遅くとも一週間前
には誘ってくる。これに対し、由羅はその当日、直前になってから誘ってくる）。
そういった理由で軽く小首を傾げたデアリングは、こう応じた。
「一緒に出かけるのはいいけど・・・えらく急だね。どうしたの？」
「うん、ちょっと、ね・・・」
デアリングの反問に、ヴァネッサはちょっと顔を伏せ、上目遣いになりなが
ら答える。
「ほら、ここしばらく第三部隊の仕事で暇が無かったでしょ？だから、久しぶ
りに２人きりになりたいな、って・・・」
仕草といい、回答内容といい、１つだけとはいえ年上の女性とは思えない可
愛らしさを感じさせるヴァネッサに、デアリングは微苦笑を浮べた。
「なるほどね、それじゃ・・・」
と、頷きかけて、彼は不意に口を閉ざした。何かにつけ、自分を誘ってくる
２人の女性の顔を思い出したのだ。最近、２人きりの時間が無いのは彼女達も
同じである。そんな状態でヴァネッサと一緒にいるところを目撃されたら、か
なり怖いことになるのではないだろうか？と思い、彼は思わず難しい顔になっ
てしまった。
「大丈夫よ」
その辺はきちんと理解しているヴァネッサはにこにこしながら彼に告げた。
「イヴさんと由羅さんには諒解を取り付けておいたから」
その一言に、デアリングは再び目を丸くする羽目になった。
「・・・ずいぶん、手回しがいいね」
「ええ。ずっと前から楽しみにていた休日だから・・・準備は念入りにしてい
たのよ」
「なるほどね。さて、それじゃ、どこに行こうか？」
「そうね。まずは、ローレライ洋品店よね。新作が入ったって言うし。それか
ら・・・」
ヴァネッサは心底嬉しそうに、「今日の予定」を指折りながら話し始めた。
事件もトラブルもない、そんな平穏な朝の一コマ。
ＥＮＤ
後書き
松です。「ある朝」をお届けします。
ま、見ての通りのまったりＳＳ。ヤマもオチもありません（待て）
＃または煩悩ＳＳとも・・・
基本的には悠久２終了後の話です。
ヴァネッサに起こされてはいますが、ヴァネッサＥＤというわけでもないで
す。
何せ、夜には由羅から宴会に誘われていますし、イヴもサンドウィッチを作
ってくれますから・・・
＃要は１人に絞れていないらしい。
以前「光の剣」の後書きで書いた「別のネタ」の話がこれです。
似たようなノリでイヴ、由羅それぞれのＳＳも書こうと思っています。
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松