スキル・アンド・ウィズダム。冒険を夢見る若者に、冒険の基礎技術と知識
を教えるこの学校にも、文化祭というものがある。その運営は、基本的に生徒
会に一括委任されている。そんなわけで、文化祭間近のこの時期、各種の企画
提案が、生徒会を集中攻撃することになるのだ。
「また、来るだけは来たな……」
生徒会長、エリザ・マーガレットは呆れとも感心ともとれる口調で言った。
報告に来た生徒会役員も苦笑混じりに頷いた。
「ええ、舞台企画を含め、例年通りの集まりです。舞台企画は例によって各ア
カデミーのデモンストレーションと、後、ミスコンですね」
「今年もまた、か……」
「はい、今年もまた、です」
エリザは大きなため息をついた。ミスコンは、毎年毎年出る企画の一つであ
る。もっとも、実行されるかどうかはその年の生徒会長の性格による。ちなみ
に、去年は単なるミスコンではなく、男子の部も行い、人気投票のようなコン
テストを開いた。結果は、女子がアリシア・ヴィンセント、男子がルーファス
・クローウンが一位になった。エリザがルーファスの名前を知ったのは、これ
が最初のことであり、それまでは単に「困っている所を助けてくれた先輩」と
いう、あこがれの人に対し、「単なるあこがれ」から「好意以上」の感情を抱
くようになった最初の時であった。
それはさておき、舞台使用の企画ともなると、スキル・アンド・ウィズダム
の学園長に舞台の使用許可をもらう必要がある。これがちょっとした問題にな
っている。今年就任した学園長というのが、またお祭り好きな老人で、生徒会
に「来た企画全てを見せてくれ」と言ってきたのである。
これが何故に問題になっているかと言えば、まず間違いなく「おもしろいか
ら、ミスコンをやろう」と言い出すであろうと思われるからだ。
エリザとって、見た目だけを競うミスコンなどというものは、やりたくない
ものの一つである。だが、学園長にやろうと言われれば、嫌とは言えない。そ
して、確実にそんな嫌な事態を招くであろう報告を、包み隠さずしてしまう損
な性格のエリザであった。
「提出された企画案は以上の通りです」
エリザは、ルーファス相手によく見せる「融通のきかない真面目人間」の表
情と声とで、整理済みの企画一覧を学園長に手渡した。
「ふむ、皆、なかなかおもしろい企画を考え出すね」
どこか、飄々とした雰囲気を持つ学園長は、楽しげに言った。そして、一通
り目を通すと、軽く首を傾げた。
「しかし、やたらとミスコンの企画が多いね」
「毎年の事です。どうも女子の艶姿を見たいという下心があるようで……」
エリザは本気で眉をしかめた。実際、彼女がミスコンを嫌う理由の一つがこ
こにある。
彼女に好意を持っていない生徒の一部には、ミスコンなどで色気のある女子
生徒と彼女を比べて「なんで同じ女なのに……」といった類の事を、ことさら
にエリザに聞こえるように言う者がいるのだ。
エリザにしてみれば余計なお世話である。別にそんな意味で人に好かれたい
と思った事はない。ましてや、その事でネチネチと言われるのは不愉快であっ
た。
まあ、そういった理由が、エリザの「ミスコン嫌い」を助長しているのだ。
別に、その辺を察したわけではないだろうが、学園長も軽く眉を寄せた。
「ふーむ、それはあまり感心出来ないねぇ」
「…それは…同感ですが……」
予想外の反応に、エリザは戸惑いを覚えつつ応じた。
「大体、この学園はかわいい娘ぞろいなんだから、勝負が成立するはずがない。
そういったことで優劣付けても、意味はないだろう」
学園長はもっともらしい表情で頷きつつ語ると、おもむろにとんでもないこ
とを言い出した。
「単に外見だけを競うなら、こっちの方がおもしろい」
羽ペンを手にして、企画書の一部に何やら書き加えた。書き加えられた企画
書を見たエリザは、驚きのあまり眼鏡がずり落ち、公平に見て十分に「可愛い」
素顔を見せる羽目になった。
そこには、こう記されていた。「男子」ミスコンテスト、と……。
「センパーイ。学祭のステージイベントの一覧が張り出されていたよ！」
ウィザーズアカデミーの部室で、ラシェル・ヴァンシアは元気良く飛び込ん
でくるなり、そう言った。
「知ってるよ。あの生徒会長がまとめたとは思えないものが混じっていたっけ」
アカデミーマスター、ルーファス・クローウンはいくつかの書類をまとめな
がらそう答えた。
「あっ、センパイ、もう知ってたんだ」
「ミスコンなんて、あのクソ真面目な生徒会長がよく許可したもんだと思うよ。
出す方も出す方だけど」
それを耳にしたメリッサが口を挟んできた。
「あっれー？マスター、もしかして知らないの〜？」
「知らないって、何の事？」
「ほら、このチラシ」
メリッサが差し出したチラシを、ルーファスは注意深く見つめた。が、特に
引っかかる所はない。それに気付いたメリッサは、ワンドの先で問題の部分を
指し示した。
「ほら、ここ」
「どれ？……って、何だ、こりゃ！？」
思わずルーファスの声がひっくり返る。それはそうだろう。普通ならつかな
いはずの「男子」の文字があれば、驚いて当然だ。
「何なんだよ、この『男子ミスコンテスト』ってのは！？」
「センパイ、説明、読んでないないの？」
「え……？」
ラシェルに言われて、ルーファスはもう一度チラシに目を走らせた。チラシ
には「いかに女性そっくりに化けれるか！」などと書かれていた。つまり、女
装コンテストというわけだ。ルーファスは、しみじみとした声で言った。
「あの生徒会長、ついにどこか壊れたかな……」
「変な言い方をしないでもらおう。別に私が提案した訳ではない」
「げ……嫌な奴が来た……」
チェスターがげんなりした口調で言った。「嫌な奴」ことエリザは徹底的な
仏頂面でアカデミー部室の入り口に立っていた。
「何か用か？会長」
「一言、忠告しに来た」
「忠告？」
「いいか、ルーファス・クローウン。『男子ミスコン』等というバカなものに
参加して問題を起こすなよ。起こしたら、即、アカデミーを解散させるから
な」
「ちょっと待て、何だよそれは！？」
チェスターが抗議の声を上げる。が、ルーファスは彼を右腕一本で押さえつ
つ、苦笑混じりに答えた。
「頼まれたって出やしないよ、そんな企画。安心しろ」
「ならば、いい」
明らかに安堵の色を見せて息をつくエリザを、ウィザーズ・アカデミー一同
は、まるでオバケでも見たかのように見つめた。
「な、何だ？」
一同の視線に気付き、動揺を隠しきれないエリザ。
「いや、珍しいな、と思って……」
「な、何がだ？」
「そんな風に安心した表情をすることもあるんだ、と……」
しみじみとした口調で放たれたルーファスの一言に、エリザは真っ赤になっ
てしまった。
「う、うう、うるさい！とにかく、そんなものには出るな！！」
叫ぶと同時に、彼女はアカデミー部室を飛び出した。だが、この後の未来を
知る者がいたら彼女にもう少し、アカデミー部室に留まるように主張したであ
ろう。なぜなら……
「だから、出ないって」
「なぁ〜んに出ないのかなぁ、ルーファス君？」
苦笑混じりに呟くルーファスの肩を、いつの間にか現れたデイル・マースが
叩いた。
「デ、デ、デ、デイル先輩！！」
「はっはっはっは、で、何に出ないのかなぁ？」
女装コンテストのチラシをヒラヒラさせながら、重ねて問い質す。はっきり
言って、もう脅しの領域である。逃げ道無しを悟って沈黙してしまったルーフ
ァスに向かって、デイルはビシッと指を突き付けた。
「こ〜んな楽しいイベントに参加しない、なんて事はないよなぁ」
「デ、デイル先輩、問題を起こしたら即廃部なんですよ！！」
「起こさなければいいだけの話ではないか」
ウィザーズ・アカデミー一のトラブル・メーカーが言っても説得力がない、
誰もがそう思ったが賢明にもそれを口に出すものはいなかった。
「……？……妙に静かだと思えばソーニャ君がいないのだな。どうしたのだ？」
「風邪をひいて寝ていますよ」
「ほう、風邪ね……」
「この間の検定でかなり無理をしたせいでしょう。２、３日はお休みすると思
いますよ」
システィナの説明を聞いたデイルは、それはそれはうれしそうな笑みを浮か
べた。
「なるほど……つまり、文化祭までの３日間、何をやってもうるさく言う者は
いないという事だな」
「何を考えておいでです、デイル先輩殿？」
平素よりも鋭さを増した視線を、蒼紫はデイルに投げつけたが、当然デイル
は答えない。むしろ平然たる口調でのたもうた。
「うむ、この女装コンテストに我がウィザーズ・アカデミーも参加しようと思
っているのだよ」
「駄目ですよ先輩！さっき会長に、それに参加して騒ぎを起こすなって釘を刺
されてるんですからね！本当に廃部になったらどうするんですか！！」
「騒ぎを起こさなければいいだけじゃあないか」
ルーファスの叫びを、デイルはあっさりと受け流す。それどころか、逆にル
ーファスに聞き返した。
「それとも何かな？俺が好んで騒ぎを起こすとでも思っているのかな？」
（その通りじゃないのか？）
ルーファスを含めた何人かは同時に同じ事を思ったが、賢明にもそれを口に
出すことはしなかった。そんな沈黙をデイルは都合よく解釈したらしい。ニヤ
リといたずら小僧の笑みをたたえて見せた。
「特に反対もないようだな。それでは、ルーファス君」
「な、なんですか？」
「アカデミーマスターとして、お前がこのコンテストに参加しろ」
「ええーーっっ！！む、無茶ですよ、そんなの！大体、俺のサイズに合う女性
用の服なんて、今から頼んだんじゃ間に合いませんよ！」
「あーんしんしたまえ、こんなこともあろうかと新魔法を開発したのだ」
「えっ……」
機嫌の良さそうなデイルの声に、思わず身構えるルーファス。こういう機嫌
のいい時のデイルの新作魔法ほど危険なものはない事を、彼は二年間のつきあ
いでよく知っていた。
「では、新作魔法『フクカエール』をたっぷりと堪能してくれたまえ」
「うわぁぁぁーーーーっっ！！」
慌ててデイルの魔法から身を守ろうとするルーファス。だが、スキル・アン
ド・ウィズダムきっての天才児デイル・マースの魔法から身を守るには、全て
があまりに遅かった。
ボンッ！
鈍い音と一緒に大量の白煙がルーファスを包んだ。一同が固唾を飲んで見守
る中、薄れ始めた白煙から出てきたルーファスは……
「よしよし、実験は成功だな」
「うっわー」
デイルは満足気にうなずき、ラシェルが思わず感嘆の声を上げた。そこには、
女性用の華やかなドレスを身にまとったルーファスがいた。ルーファスはおそ
るおそる自分の体を見下ろし……そして思わず声を上げた。
「わーーーーっ！！何なんですか、これは！？」
「だから、俺の新作魔法だと言ってるだろう。この魔法はだな、民話などに出
てくる『粗末な服をドレスに変える魔法』を現実のものにした画期的なもの
なのだよ」
「……で、俺が着ていた服は？」
「ルーファス、お前は民話の中で、変わる前の服が落ちているという事を読ん
だことがあるのか？」
「と、いうことは……」
「とーぜん、お前の着ていた服がそのドレスに変わったのだよ」
「わーーーーっ！！」
「きゃーっ！さっすがセンパイ、すごいっていうか〜」
「まぁ、すごいことには違いないが……」
思わず頭を抱えたルーファスを後目に、メリッサは無邪気に感激し、真琴は
呆れ半分に呟いた。
確かに、すごいことには違いない。ある物体を分解し、それを術者の意のま
まに再構成する魔法など、未だに成功した試しがない。それをあっさりとやっ
てみせるデイルの技量もすごいのだが、何よりも、その成功例なき魔法を、公
表するでもなくただ自分の楽しみのためだけに使うという、その性格の方がす
ごいと言うべきか、すさまじいと言うべきなのか……
「先輩！早く元に戻して下さいよ！このままじゃ、学校から出れませんよ、俺！！」
ルーファスが叫ぶ通りである。スキル・アンド・ウィズダムの校舎には侵入
者撃退用のセキュリティシステムが設置されているのだが、これは校章などの
有無で関係者か否かを判別するシステムになっている。このドレスには、その
校章がついていない。この状態では、一歩廊下に出ただけで電撃を食らう羽目
になってしまうのだ。
「あーんしんしたまえ、簡単に元の服に戻せるようになっている」
「どうすればいいんです！？」
「こうするのだよ『戻れ』」
「力ある言葉」で短く命令すると、ポンと軽い音と共にドレスが元の服に戻
った。ルーファスは服に異常のない事と校章がついていることを確認して安堵
した。
「さて、これで服の方は問題ないことが分かっただろう。残るは化粧だけなん
だが……」
「あ！それだったら、アリシアセンパイが持ってるよ！！」
化粧の問題が解決しなければ逃げられるかもしれない、というルーファスの
淡い期待を、ラシェルが凶悪な無邪気さをもって粉砕した。
「そうか、ではアリシア君。君をメイク係に任命する。ルーファス達を見栄え
よくしてくれたまえ」
「ルーくんに化粧をするのはいいんですけど……」
珍しく口ごもるアリシアに、デイルは違和感を覚えた。
「どうかしたかね？」
「『ルーファス達』というのはどういう意味なんです？」
アリシアに変わって真琴が疑問を口にする。デイルは当然の事のように平然
と答えた。
「当然、蒼紫君とチェスター君に決まっているではないか」
「御冗談でしょう？」
「じょ、冗談じゃねぇ！」
蒼紫は疑わしげに問い、チェスターは絶叫した。
「何を言う。この場合の冗談とはだな、女の子に向かって『女装コンテストに
出ろ』と言う事を指すのだよ」
デイルは真面目くさった口調で言い返す。まあ、確かにその通りではあるが、
そんなことでチェスターの憤りは収まらない。
「だからって何で俺達が……おい、ルーファス！何か言えよ！！」
「チェスター、デイル先輩に何を言えと？」
あきらめをにじませた声でルーファスは応じる。
「んなこと言っている場合か！？このままじゃ、女装させられるんだぞ！！」
「嫌がっても同じ事だと思うけど……」
「う……」
「どうせやるハメになるなら、被害が小さい内にやった方がましだと思うぞ」
「い、嫌だ……それでも俺は嫌だーーーっ！！」
「あっ、逃げた！」
「往生際が悪いわよ、チェス太郎！〈ウォーター・ネット〉ぉ！！」
手にしたステッキを頭上でくるんと一回転させたかと思うと、メリッサはそ
の勢いのまま振り下ろし、ステッキの先端をチェスターに向けた。と、思うと、
チェスターの目の前に巨大な水のかたまりが現れた。減速する間もなく水に突
っ込むチェスター。そんな彼の上半身を、水のかたまりは包んでしまうと、彼
を床に引き倒した。
「この天才美少女魔法使いから逃げようとするなんて無謀っていうか〜」
「駄目だよ、ルーファスセンパイも、蒼紫センパイもやるんだから。一人で逃
げるなんてずるいよ」
チェスターに向かって話しかけるメリッサとラシェル。が、当のチェスター
からの反応が全くないことに気付いて、お互いの顔を見合わせた。
「なんかおかしい感じ〜」
「ひょっとしてさぁ、息が出来ないんじゃないの……？」
ラシェルが口にした推測に、二人は思わず沈黙する。三秒ほどの間を置いて、
二人そろって叫んでいた。
「ちょっと、チェス太郎！まだ生きてる？」
「い、今、引っぱり出すからね！」
ラシェルとメリッサ、二人がかりで水から顔を出せたチェスターは、大きく
荒い呼吸をしながら、メリッサにかみついた。
「おい！一体何の真似だ！危うくおぼれ死ぬところだったじゃねーか！」
「チェス太郎が逃げようとするからだもーん」
「逃げるのが当たり前だろーが！女装なんてやってられるか！！」
「……メリッサ、手を離そうか？」
「あ、それ、すっごくいいかも」
「おい、ちょっと待て……！」
チェスターが何か抗議の声を上げるよりも早く、こういう事に関しては息の
合う二人が同時に手を離した。またまたあっけなく水の中に引き込まれるチェ
スター。
「ガバゴボガバ……」
「え、何？早くこれを消せ？」
水の中でわめきたてるチェスターの言葉を翻訳するラシェル。コクコクと頷
くチェスターに彼女はまたまた無邪気に非情な一言を投げつけた。
「でも、ボクじゃ自信ないよ。メリッサに頼んだら？」
「えー？でもチェス太郎、コンテストに出たくないって言ってるしぃ、このま
ま溺れて気絶させちゃった方が早いかも〜」
「ボガバガガバボゴ……」
「え？分かった、出るからこの水なんとかしろ？」
ブンブン
どうやら窒息寸前らしい。チェスターは必死の形相で首を縦に振った。
「だってさ」
「それじぁ、解いてあげる」
ポン
意外と軽い音と共に水が消える。水から解放されたチェスターは何度もせき
込みながら肺に空気を送り込んだ。その横では、メリッサがいたって平然たる
態度でのたもうていた。
「センパーイ、チェス太郎も出るって〜」
「てめぇ……絶対仕返ししてやる」
チェスターの低いうなり声は、小声であったために誰の耳にも届かなかった。
もっとも、届いても何の意味もなかったであろうが……。
「そうか。と、いうわけだアリシア君。こいつらを見事にメイクアップしてく
れたまえ。化粧品代はこれを使ってくれたまえ」
そう言って、デイルは革袋を一つ、アリシアに渡した。その重さに、アリシ
アは目を丸くした。
「いいんですか？こんなに渡して……私、使い切りますよ」
「構わんとも。そのかわり、きっちりと化粧してくれたまえ。さて、何か質問
はないかな？」
その質問に誰も応じないので、デイルは満足げに頷いた。
「では、俺はこれで帰るか。いやぁ、物事がスムーズに進むねぇ」
その一言に、ルーファスはソーニャが居てくれれば、事態は改善されたかも
知れない、と思っていた。何とも情けない話だが、デイルの傍若無人ぶりに対
抗出来るのは、たとえ誰であろうと正論を貫こうとするソーニャ以外いないの
だ。
ルーファスがソーニャの事を考えている頃、彼女は立て続けにくしゃみをし
ていた。
「今……何か悪寒が走ったけれど……」
ソーニャはひとりごちると、すっかりなま暖かくなってしまったタオルを額
から外した。そして、あらかじめ側に置いておいた氷水に浸しておいた代わり
のタオルを絞ってそれを乗せる。ひんやりとした感触に心地よさを感じながら、
彼女は先ほどの悪寒の理由を考えていた。
（風邪のせい……ではないわね。そうね、例えばあのデイル・マースあたりが
何か悪巧みを思いついた時のような……）
そこまで思考を押し進めたとき、ソーニャははっとなって起きあがった。
「そうよ……それしかありえないわ……私がアカデミーに出れない状態なんて、
あの男がやりたい放題に悪さをする絶好のチャンス……」
ソーニャはシーツを強く握りしめると、確固たる決意を込めて呟いた。
「デイル・マース……あなたの好きにはさせないわよ」
ベッドから起きあがろうとして……めまいを感じて倒れ込む。まだ、熱が引
いていないのだ。そんな自分の状態に、彼女は心底悔しそうに呟いた。
「こんな時に風邪なんて……絶対、文化祭当日までには治して見せるわ！」
さて、その文化祭当日。ソーニャは自分に向かって宣言したとおり、三日で
風邪を治してしまった。まだ少しせきが出るものの、熱は完全に引いた。とり
あえず、ウィザーズ・アカデミーの展示に割り振られている教室へ向かってい
ると、意外な人物に出会った。
「生徒会長……」
「ああ、ソーニャ君か」
「珍しいですね、生徒会室にいなくていいんですか？」
「当日になると、会長の仕事はほとんどないからな。ただ座っているのも気が
引けたから見回りでも、とね……」
「会長らしいですね」
「それよりも……」
エリザはにわか威儀を正してソーニャをひたと見つめた。
「また、あのデイル・マースが何かやらかしたようなのだが……」
「やっぱり……一体何をやりました？」
「ルーファス・クローウン以下、男子アカデミー生３名を女装コンテストに参
加させた」
「……は……？」
ソーニャは目を点にして、エリザに問い返した。エリザは深い同情のため息
をもらしながら、説明を続けた。
「今年は、あの学園長の提案でミスコンの代わりに女装コンテストをする事に
なったのだ。そしてそれに、ルーファス・クローウン達が無理矢理参加させ
られた、というわけだ」
「……一体、何を考えているんでしょう？」
「分からん、私にも……」
ソーニャの一言には対象者が省かれていたから、「何を考えている」のか分
からないのが、デイル・マースなのか、学園長なのか、それとも参加させられ
たルーファスの事なのかはいまいち不分明であった。だが、たとえどれが正解
であったとしても、エリザとしてはこの答え以外にしようがなかったであろう
が……。
そんな事を深刻な表情で語り合っていると、突然叫び声が上がった。
「きゃあぁぁぁぁぁっっ！」
「！？」
ソーニャとエリザが振り返ると、ストーン・ゴーレムが暴走しているのが見
て取れた。
「だっ、誰か止めてくれー！」
展示責任者らしい生徒が叫んでいる。エリザはそれを見て舌打ちした。
「全く、無許可でゴーレムを使うとは！」
女装コンテストも問題なく終わり、心配事は何もない、と思っていた彼女に
とって、腹立たしい限りの出来事だ。だが、怒りや忌々しさは、この際、後回
しである。何とか、ゴーレムを取り押さえる必要がある。
エリザは一歩前へ出ると、〈アース・バインド〉の詠唱を始めた。これでゴ
ーレムの足を止めてしまおうというのだ。だが……
「ゴゴゴガァッ！！」
「何！？」
ゴーレムはエリザに気付いたかと思うと、全速で彼女に突進してきた。軽量
化されていたためであろうが、並みのゴーレムより速い。十二分な間合いを取
っておいたにもかかわらず、彼女が対策を立てる前に、ゴーレムは彼女を捕捉
した。そして、ゴーレムは彼女を投げ飛ばす。
「！！」
悲鳴を上げる事も出来ず、エリザは目をきつく閉じ、来るであろう衝撃に備
えて身を丸くした。一瞬後、予想通りに衝撃が彼女を揺さぶる。
ドンッ
だが、衝撃自体は、彼女が予想していたものよりはるかに小さく、柔らかか
った。続けて、全く予想しなかった声がかけられる。
「大丈夫かい？」
何度も聞いた事のあるその声に、エリザは驚いて目を開ける。
「ル……！？」
思わずその名前を言いかけて、目の前の人物が別人である事に気付いて絶句
する。彼女を横抱きにしているその人は、ショートカットの黒髪と赤いドレス
が印象的な女生徒だったのだ。驚きと混乱のせいで何も言えずにいるエリザを
降ろすと、その女生徒は相変わらず聞き覚えのある声で、側の２人に指示を出
す。
「２人で足を止めてくれ、そうしたら〈フリーズ〉で動きを止めるから」
「分かりました」
「いいぜ」
紫と紺を主体に染めたローブが印象的な、腰まで届きそうな黒髪の女生徒と、
同じくらいの長さの赤毛の女生徒が頷いて前へ出る。先に動いたのは赤毛の女
生徒だった。
「はっ！」
これまた聞き覚えのある声の気合いをもらすと、その女生徒は一気に間合い
を詰めてゴーレムのみぞおちに蹴りを叩き込んだ。軽量化のツケとでも言おう
か、衝撃に対する耐性は強くないらしい。この一撃で、大きく後ろへ吹き飛ば
された。もっとも、大したダメージにはならなかったらしい。すぐに起きあが
り、自分を蹴飛ばした女生徒目がけ、突進する。だが、今度は、黒髪の女生徒
に止められた。赤毛の女生徒目がけ振り下ろされた腕を、その女生徒は刀一本
で受け止めたのだ。刀の出来と女生徒の剣技、両方が高くなければ、こんなこ
とは出来ないであろう。
そして、両者を兼ね備えた黒髪の女生徒の行動で、指示を出した女生徒の希
望通り、ゴーレムは完全に足を止めていた。
「〈フリーズ〉！」
少々アレンジされた詠唱が終わり、指示を出した女生徒は集まった魔力を解
放した。その魔力はゴーレムの周りの水分を一気に氷結させ、指定された部分
−ゴーレムの間接部分−に張り付いた。
「あっ？」
エリザは驚きの声を上げていた。通常の〈フリーズ〉は相手を厚さ１センチ
ほどの氷でおおってしまう魔法である。人間相手ならその瞬間に気絶するので、
それで動きを止める。だが、ゴーレムのように、意識を失わず、また、パワー
もあるものになると氷を粉砕してしまう場合がある。だが、今回の〈フリーズ〉
は関節部分だけを氷でおおっていた。おおう部分を限定したため、おおう氷の
厚さは通常の倍以上になっている。これでは、ゴーレムのパワーでも氷を粉砕
するのは不可能だ。
「ガ……ゴ……」
それでもゴーレムは動こうとしていたが、無駄な努力であった。〈フリーズ〉
の風変わりな使い方をした女生徒は、一つ息をつくと呟いた。
「上手くいった」
「その声……ルーファス・クローウンか？」
「ひっょとして……マスター！？」
二人同時の問いかけに、短い黒髪の女生徒の顔がみるみるうちに引きつるの
が見て取れた。そして、その女生徒は表情同様の引きつった声で、小さく応じ
た。
「い、いや、私はルーファスなんて……」
それらしい声色を作ろうとして、単なる怪しげな裏声になった声で言い訳す
る。それが、この二人に回答を与えていた。答えを知った二人は全く同じよう
にこめかみを押さえ、全く同じようにため息をついた。
「何をしている何を？女装コンテストはもう終わったはずだぞ？」
呆れたようにエリザが言えば、ソーニャは
「何て情けない格好をしているんですか！？恥ずかしいとは思わないんです
か！？」
「いや、その……」
誤魔化せないとさとったルーファスは、しどろもどろに言い訳する。その背
後では、先ほどルーファスの指示を受けてゴーレムの足を止めた二人が、目立
たないようにこっそりと逃げ出そうとしていた。もっとも、そんな事を見逃す
ソーニャではない。
「それじゃ、あの二人はは蒼紫君とチェスターね。逃げないで！何している
の！？」
と睨み付けた。睨まれた方はたまらない。目をそらしながら、言い訳する。
「べ、別に、好きこのんでこんな事をしてるわけじゃねーよ」
「そうなんです、ソーニャ殿。終わって部室に戻ったら、誰もいないありさま
で……」
ふてくされた子供のように言うチェスターをフォローするかのように、そし
て、困り果てたように蒼紫は言う。
「それで……ひとまず皆を捜そう、と思いまして……」
この言い訳に、ソーニャとエリザは顔を見合わせてため息をついた。
「要するに、デイル・マースに引っかけられた、という事だな？」
「何をやっているんですか、何を！？そんなことだから、デイル・マースに好
き勝手されるんです！！」
「あ、あのさ、ソーニャ……」
「何ですか！？」
キッ、と睨み付けて来たソーニャに押されながらも、ルーファスは彼の要望
を口にした。
「話はゆっくり聞くから、どこか適当な所にかくまってくれないか？」
「先ほどの件で、少し目立ちすぎたようですし……」
蒼紫も、表面ばかりは平静を保ちつつ、しかし、しっかり冷や汗をかきなが
らそう言った。そこで、二人は初めて気付いた。自分達の回りに、人だかりが
出来ている事に……。
とにかく化粧を落としたい。という三人の要求で、一行は人気のない洗面所
に向かった。念のために「清掃中」の札をかけて人の出入りを封じる。
そこからが大騒ぎであった。ルーファス達は化粧の落し方など知らないし、
化粧とは無縁のソーニャもそれは同じである。エリザにしたところで化粧なん
てほとんどしない。せいぜい化粧水をつける程度だ。それでも、ルーファス達
よりましな知識を、彼女は持っていた。
そんなわけで、エリザの指導の元、ルーファス達の化粧落としが始まった…
…。
「次は水で洗って石鹸を落とせ」
エリザが無表情に指示する。既に、蒼紫とチェスターの方は化粧を落とし終
え、魔法で変えた服も元に戻している。ルーファスだけが未だ終わらないが、
別に彼が不器用であるからという訳ではない。何故か（おそらくはアリシアの
趣味だろう）、彼だけが念入りに化粧されており、他の２人より時間がかかっ
ているだけの事だ。
バシャバシャ……
「まだ、何かついている気がするけど……」
「これで最後だ。もう一回、水で洗え」
彼女の指示に従って、もう一度、水で顔を洗う。洗い終わったルーファスに、
彼女はいつもより柔らかい口調で言った。
「それで終わりのはずだ。まだ、べとつくとかいう感じはするか？」
「いや、ないよ。ありがとう」
「そうか……」
素直な礼の言葉に、安堵と共に気恥ずかしさを覚えて、つい視線をそらして
しまう。その間にルーファスはハンカチを探すが、ドレス姿は変わっていない
のでなかなか見つけられずにいた。そんな彼の様子に気付いて、エリザは自分
のハンカチを差し出した。
「…使ってくれ…」
「えっ？いいの？」
その問いに、彼女は黙って頷く事で返答とした。
「ありがとう、助かるよ」
そう言って受け取ると、ルーファスはハンカチを受け取って、濡れた手や顔
を拭く。すると、まだ落ちきっていない白粉が、それについた。それに気付い
たルーファスは、すまなそうに告げる。
「済まない、汚しちゃったから、洗って返すよ」
「き、気にしなくてもいい！私が好きで貸したんだか…ら……」
「いや、まぁ。お礼だと思ってくれればいいよ。出来るだけ早く返すから」
「そ、そんなに言うなら……好きに…し…ろ……」
何故とはなしに、語尾から力が抜けている。理由は分かっている。本当に言
いたいのは別の事だからだ。だが、言えない。言うだけの勇気が出ない。
「おい、ルーファス。そろそろ行こうぜ」
「ああ、そうしよう」
そんなためらいをしている間に、当の相手はチェスターの呼びかけに応じて、
歩き出した。
「待て！」
慌てて、強い口調で言って、ルーファスの服の裾をつかむ。
「え、何？」
驚きと困惑の表情でエリザを見るルーファス。そんな彼に、彼女はうつむい
たまま、「本当に言いたいこと」を告げた。
「あ、あの…さっきは助けてくれて…ありがとう……」
ルーファスの目が丸くなり、そして、いつもの彼女に見せるのより穏やかな
表情で応じた。
「気にしなくていいよ。ハンカチも貸してもらったし」
ルーファスの言葉に、彼女はうつむいたまま、頷いた。
「……」
「それじゃ、ハンカチはすぐに返すから。ありがとう」
そう言って、ルーファスは立ち去った。そんな彼を、エリザは複雑な表情で
見送った。あのハンカチを持っている間は、少なくとも自分の事を忘れないで
くれるだろう。そう思うと、返してくれるのは遅くてもいい気がする。たとえ
早めに会ったとしても、生徒会が潰そうとしているアカデミーのマスターと、
生徒会長という立場では話しようがないのだから。
「言えるようになりたい、早く……」
そんな立場とは関係無しに、彼と話したい。自分の気持ちを伝えたい。その
一方で、彼女は１つの決意を固めた。今の立場から解放されたら、真っ先に彼
の所へ行って、自分の気持ちを伝えよう、と。
彼女の決意が実行されるのは、ウィザーズアカデミーの存続が決まり、ルー
ファスが卒業する時の事になる……。
ＥＮＤ
後書き
松です。「文化祭騒動記」をお届けします。
ＷＨ系はネット初掲載だな・・・。もっとも、乗せるまで１年近くかかりま
したが；
載せた本がそろそろ完売するので転載しました。
出来は・・・個人的にちょっと不満が・・・；まとまりがなくって・・・；
本当は女装させられたルーファスと、それに頭を抱えるエリザのお話だったん
ですが・・・
それでは、こんな所で。
感想、ご意見などは掲示板へどうぞ
松