「正気ですか、団長？」
自警団第三部隊隊員、デアリング・デッキサイドは、滅多に見せない怒りを
込めて問いただした。問われた自警団団長、ベケットは人の良さそうな丸顔に、
微かな苦笑をたたえて、若い隊員をたしなめた。
「デアリング君、落ち着いて。私は一応、団長なのですよ」
「デアリング、うろたえてはいかん」
続けて、第三部隊隊長、カール・ノイマンも注意する。デアリングもまた、
自分が口走った内容の非礼さを悟って謝罪する。
「申し訳ありません。ですが、とうてい納得できる命令ではありません」
彼は怒りはおさめたものの、不満のこもった口調で続けた。
「フェニックス美術館窃盗事件の捜査を打ち切れ、などというのは・・・」
フェニックス美術館窃盗事件。この年の３月に発生したこの事件は、フェニ
ックス美術館から貴重な（それこそ世界的美術品といえるクラスの）美術品が
複数盗み出された。目撃証言と、本人の部屋から発見された美術品という証拠
から、ジョートショップで働くグローウォーム・グレイフォードが犯人として
逮捕された。
もっとも、本人は一貫して否認している上に、彼の身元引受人、アリサ・ア
スティアが逮捕３日後に保釈金を支払い、さらに再審請求を行っているため、
彼に対する役所の審理は中断されている。
王国政府（エンフィールドを含む）では、証拠と捜査機関（エンフィールド
では自警団）側の見解および求刑が、役所の審理官（こちらの世界で言う裁判
官）によって審理された上で最終的処分が決定される。この審理では、被告人
の抗弁が行われる。もっとも、「自分は無罪である」としか主張するしかない
被告人側の抗弁が通る可能性は低いのだが・・・。
また、ここで言う「再審請求」は、本質的には審理延期請求と言いかえるの
が正しいだろう。その間に請求者は自分の無罪を証明できる証拠を見つけねば
ならない。つまり、これが抗弁の代わりというわけである。また、この期間に
捜査機関（＝自警団）からなされた求刑はすでに仮審理が行われ、承認される。
今回の事件でも例外ではなく、１年間でグローウォームが証拠を集め、陪審投
票を含む審理で認められなければ、求刑通りエンフィールドを追放されること
になる。
無論、当のグローウォームはそれを避けるために証拠集めをしているようだ
が、決定的証拠が上がったという話はない。だが、ここ最近の彼の働き（アリ
サの借金分の金を稼ぐための）を見て、彼を本当に犯人か、疑わしく思い始め
ている人々がいるのは事実だ。
こういった動きとは無関係に、自警団もこの事件の捜査を行っている。基本
的には証拠固めであるが、それが（グローウォームの証拠集め同様）どうにも
行き詰まりを見せていた。この時点で、リカルド指揮する多忙な第一部隊から、
カール・ノイマン指揮する第三部隊に捜査は引き継がれ、同部隊で頭脳労働を
得手とするデアリングにその指揮が任された。
捜査を任されてから１週間で、彼は捜査方針を変更した。２つの可能性考え
て捜査を開始したのだ。１つはグローウォームが犯人の場合で、これは旧来の
証人探し中心から、動機探し中心に変更して行わせた。もう１つは、彼がグロ
ーウォーム自身が主張するように別に犯人がいる場合。これは、デアリング自
身が行った。
何故、こんな事をしたかと言えば、新しい証人や物的証拠がまるで見つけら
れないからだ。見つからない理由は２つ考えられた。１つは、グローウォーム
がほぼ完璧に近い盗みをしたため見つからないという可能性。もう１つは、最
初に見つかった証拠は、誰かが彼に濡れ衣を着せるために用意したもので、そ
れ以外は存在しないからという可能性。
前者だとすれば、グローウォームは盗み出した品物を自分の部屋に置いてお
くようなマヌケという事になるが、それは（彼の能力を知る者にとっては）信
じがたい事であった。第一、彼には動機が見当たらない。後者の場合は容疑者
そのものが見つからない。
方針変更後も、行き詰まり状態が大きく変化したわけでもない。だが、グロ
ーウォームの動機を指摘した報告が、その状況を大きく変えた。
それは、ジョートショップの経営状態を動機としてあげていた。つまり、借
金を抱えるジョートショップのために、彼が「早まって」犯行におよんだので
はないか、と考えたのだ。
もっとも、それはデアリングに矛盾を指摘され、可能性が低いと見られてい
た。矛盾は２つ、１つはジョートショップの借金はグローウォームの保釈金が
唯一の原因であり、それまでは額が小さいながらも黒字であった。つまり、彼
がそれを原因に犯行におよんだとすれば、借金をするために盗んだようなもの
で、これは本末転倒してる。２つ目は盗品の内容である。あまりに有名な美術
品ばかりが盗まれた（ゆえに終身刑か追放という重い処罰を求刑した）が、こ
んな貴重品では裏ルートでさばく事など不可能である（すぐに発覚する）。傭
兵として、長い事旅を重ねた（そして裏の事情も心得ている）彼に、その程度
の事が分からぬはずがない。
だが、このジョートショップの借金自体は、デアリングの関心を呼んだ。彼
はすぐにこの借金に関する調査を行い、おかしな点を見つけ出した。担保とな
ったジョートショップの土地、建物の評価額は１０万Ｇに達していないのだ
（通常、担保は貸付額より大きい価値を持つものが選ばれる）。誰がそんな貸
し付けをしたのか調べてみたところ、ショート財閥のハメット・ヴァロリーの
名が出てきたのである。
この点についての調査を始めようとした矢先に、非常識な捜査中止命令を受
けたのだ。ショート財閥が自警団の最大スポンサーである事を知るデアリング
にとって、疑惑と不満を抱くに十分な事態である。
「しかし、何故、です？この事件は関心も高い。その捜査を中止するのは・・
・」
語尾をあえてにごしたデアリングの疑問に、ノイマンも頷く。２人の視線に、
ベケットも困ったように事情説明をした。
「私にもよく分からないのですよ。ただ、ショート財閥のハメット氏が要請、
というか強制してきたのです。従わないなら、出資を控える、と・・・」
「そんな・・・無茶苦茶ですよ、それは」
デアリングが呆れたように言った。刑事事件の捜査に圧力をかけられた事例
は存在しない。そんな事をすれば、市民からの非難を受けるからだ。ベケット
もその点には同意した。
「ええ、その通りです。ですから、自警団としては最初に逮捕した彼を犯人と
して捜査する以外の事はしない、という事で妥協していただきました」
ずいぶん分かりづらい言い方をしているが、半分は意図しての事である。デ
アリングはその意味する所をうすうす感じ取って、曖昧な頷きを返した。
「はぁ、自警団としては、グローウォームが犯人である、というのが公式の見
解であると・・・」
「ええ、自警団としては、です」
「そうですか・・・」
デアリングは黒曜石を思わせる瞳に、いたずらっぽい光をたたえて頷いた。
ベケットが間接的に示唆した事に気付いたのだ。
「デアリング」
それまで黙っていたノイマンが口を開いた。
「すまないが、席を外してくれ。団長と２人で話がしたい」
「分かりました」
デアリングは別に驚きを示す事無く従った。ノイマンとベケットが２人で話
すのは、そう珍しい事ではないのだ。
彼が退出すると同時に、ノイマンはざっくばらんな口調で苦情を口にした。
「あんまり若い者を煽らないでもらえるかね」
「私はただ、表立っては動けないと言っただけですよ」
ベケットは悠然と苦情を受け流すと、口髭をしごきつつ別の事を口にした。
「それにしても、あの人も困ったものですねぇ。我々に無断であんな事をした
あげく、こちらにまで面倒を押し付けるなんて・・・」
「そもそも、却下したはずだったのだがな・・・」
「未練があるのでしょう。確かに、あの計画は魅力的です。犠牲にするものが
多すぎますが・・・」
「私はもう老人だ、考えも古いだろう・・・だが、いかなる時代でも、あのよ
うに命をもてあそんでよいはずがない。まして、そのために無辜の市民を犠
牲にしたのでは・・・」
ノイマンの顔に、苦悩の色が浮かぶ。一方のベケットは彼の苦悩を理解した
わけではない。だが、彼の苦悩がもたらすであろう決断は予測できた。疑問の
形で、予測を口にする。
「では、あの人を・・・？」
「仕方がないだろうな。独断専行を認めるわけにもいくまい。それに、無実の
者を獄に下すわけにはいかん」
ノイマンの声は、苦くはあるものの迷いはなかった。それに対し、ベケット
は軽く首を傾げた。
「しかし、どうやって？我々は動けませんし・・・」
「なに、手はいくらでもある。彼が思っている以上にね」
ノイマンは穏やかなくせに、凄みを感じさせる微笑みを浮かべた。
「私が手配する。君は彼の追求を適当に誤魔化しておいてくれ」
同じ頃、退出したデアリングは、いつものように思考の世界に潜っていた。
無論、思考対象は１０万Ｇの貸し付けの事だ。
（何故、ハメットは１０万Ｇの貸し付けを行ったのか？それも担保が不十分な）
可能性はいくらでもある。単なる気まぐれ、担保の調査ミス（自警団側のミ
スもありえる）、あるいは引退したモーリス・ショート氏の指示。だが、どれ
も考えづらい。
（担保が不十分なのはこちらが普通に評価したからか？）
結局の所、商業取引は需要と供給のバランスで決る。それは、土地、建物と
言えど例外ではない。もし、ハメットがジョートショップの土地か建物をどう
しても欲しいと思っているなら、１０万Ｇ以上の価値ありと判断してもおかし
くはない。
（借金の担保にしたのは、普通に交渉しても無駄だったからか・・・）
その辺は理解出来る。どんな大金を積まれても、アリサが亡き夫との思い出
の場所を手放すとは思えない。まして彼女は目が不自由なのだ。住み慣れた家
を離れるのに、抵抗もおぼえるだろう。デアリングは、穏やかに、だが、毅然
たる態度で断り続けるアリサと、食い下がるハメットの姿を容易に思い浮かべ
る事が出来た。
取り引きによる土地入手をあきらめたハメットは、借金の担保という形で手
に入れる事を考えた。担保であれば、アリサの同意なしでも土地を入手出来る
からだ。無論、誉められた手段とは言いがたいが・・・。
（それにしても、なんだってそこまでしてあの土地が欲しいのやら・・・）
デアリングには、それが分からなかった。何か新しい事業をおこすためであ
ろうが、それなら、アリサの所でなくてもいいはずだ。担保という形で土地を
強引に入手すれば、たとえ合法的であっても「アリサを無理矢理追い出した」
と見られるであろう。それに対し、エンフィールド市民の少なくない数が反感
を覚えるであろう。それは事業にとり、マイナスのはずなのだが・・・。
（何にせよ、情報が足りないよな）
彼は占い師でも予言者でもないので、事態を推察するには緻密な思考と、何
よりも情報が必要であった。不十分な情報と希望的観測だけで行動するのは、
危険だという事を、彼はよく知っている。
（ショート財閥の事業計画を拾い出す必要があるな）
そうしない限り、この推察は続けようがない。そう思っていると、団長室か
ら、ノイマンが姿を見せた。
「隊長」
「デアリング、一緒に来たまえ」
そう言うと、２人は並んで第三部隊詰め所へと向かった。
「で、団長は何と？」
「捜査方針を変えるのは無理、という事だ」
「それでは・・・」
「そういうわけだから、君は半年ばかり休職したまえ」
「隊長！？」
いともたやすく先を言われ、デアリングは驚きの声を上げた。一方のノイマ
ンは年月の経過を思わせるしわの多い顔に、穏やかな微笑みを浮かべて応じる。
「そうしてでも、調べるつもりなのだろう？」
「ええ、まぁ・・・」
見抜かれたデアリングは、苦笑するしかなかった。無論、彼はノイマン相手
に隠し事など出来るとは思ってはいない。だが、こうもあっさり見抜かれると、
笑うしかないだろう。
「それで、どこから調べるのだ？」
「ショート財閥・・・あそこを調べる以外ないでしょう」
「そうだな」
ノイマンも頷いた。わざわざ圧力をかけてくるのだ。何か調べられては困る
事があるのだろう。それも、この事件について。ならば、彼らはそれを知らね
ばならない。
「ですが、その前に・・・」
「フォスター君の事かね？」
「はい」
第一部隊隊長、リカルド・フォスターがこの事件を個人的に調べている、と
いう事は第三部隊で捜査に当たっている隊員全員が知る所である。もちろん、
非公式に、だが・・・。しかし、そんな隠密理な捜査を行うには、彼は有名す
ぎるのだ。
「なにしろ、あのトリーシャが知っているわけですし、フォスター隊長の動き
を隠すのは不可能でしょう。それに、あの人がこちらの動きに気付かないと
も思えません」
リカルドの娘、トリーシャが知った事を隠しておくのは、絶対に不可能だと
言われている。で、ある以上、リカルドの動きがエンフィールド中の人間に知
れ渡るのは時間の問題である。そうなった時、真犯人が別にいたら、証拠等を
隠蔽されかねない。それを避けるには、もっと目立たない人が、秘密理に、非
公式に捜査するしかない。デアリングは、そんな厄介な事を自分から引き受け
ようとしているのだ。
「では、どうするのだ？」
「急にフォスター隊長が調査を止めたら、やはり疑惑を抱かれるでしょう。ど
のみち気付かれるのであれば、それを使って罠を仕掛ける方が得策でしょう」
「具体的には？」
ノイマンに促されて、デアリングは事態の対処方法の説明を続けた。
「フォスター隊長に囮役を務めてもらいます」
アルベルトあたりが聞いたら激怒しかねない事を、彼はさらりと言った。さ
らに説明を加える。リカルド・フォスターという「有名人」が動いた以上、動
き続けようが、止まろうが、その行動は確実に真犯人に伝わる（この時点で、
デアリングは真犯人はエンフィールド内部にいると判断していた。ショート財
閥関係者であるかどうかはさておいて）。で、あるならば、それを逆手に取っ
て、真犯人の動揺と行動を誘うべきである・・・。
「一歩間違えれば、真犯人に証拠を消されかねないので、大変危険ですが・・
・」
「だが、こちらの望む動きを犯人に起こさせる事も出来る、か・・・」
「はい。それに、さしあたって、こちらに選択肢は存在しませんから・・・」
デアリングは苦笑混じりに説明する。実際、彼が言うように、事件解決のた
めの手段は、そう多くはなかった。様々な外的要因（リカルドの個人的調査も
含む）が複数あった手段を封印してしまったからだ。
（最初から事件の捜査を担当出来ればなぁ・・・いや、せめてフォスター隊長
が動かないでいてくれたら、もう少し安全策が取れるのに・・・）
「危ない橋」を渡るしかないデアリングは、内心でだけぼやいた。無論、リ
カルドにはリカルドなりの考えがあっての事と承知はしている。それに、彼も
リカルドの動きを「黙認」した事も・・・。だが、今日の事態を考えると、ぼ
やきの１つも出てくるのだ。
そこで、自分が思考の無限回廊に引っかかっている事に気付き、軽く首を振
ってそこから脱出した。どんなにぼやいても、目の前の現実が変わるわけでも
ない。変えるには、適切な方策を考え、実行せねばならないのだ。そう気を取
り直した彼に、ノイマンが彼の「方策」の実行にあたっての問題点を指摘した。
「だが、どうやってフォスター君に伝える？」
捜査を担当するデアリングと個人的に調べるリカルドが内密に会えば、相当
に怪しまれる。少なくとも、圧力をかけてきたハメットは間違いなく怪しむで
あろう。
どんな接触を持とうと、相手（この場合、真犯人と圧力をかけてきたハメッ
ト）に「デアリングがリカルドと協力して、秘密裏に事件を捜査しようとして
いる」と思われては、意味がないのだ。ノイマンの問いかけは、その点の指摘
も含まれていた。
「会う事自体は大丈夫でしょう。何の問題もないはずです。内通者がいたらそ
の限りではありませんが・・・」
デアリングはあっさりと答えた。そして、問題点を説明する。
「問題は、会った後の私の行動です」
会った後、公式、非公式を問わず、彼が動き回れる立場にあれば、それだけ
で疑われかねない。最低限、相手が警戒を解くまで、「動けない」ふりをする
必要がある。
「それを考えると、休職というのはまずい。そういう事になるな」
「そうですね。別の手段を考えないと・・・」
ノイマンの指摘に、デアリングも頷いた。「休職」では「非公式に動き回り
ます」と宣伝しているようなものだ。完全に警戒されてしまう。それを回避す
るには、「非公式に動き回れない任務」に（表面的にでも）ついている必要が
ある。
「ですが、そんな都合のいい仕事があるんでしょうか？」
「それくらいなら、簡単にひねり出せる。安心したまえ」
ノイマンは、先ほどベケットに対して見せたのと全く同質の、凄みを感じる
穏やかな微笑みをたたえて言ってみせた。
「・・・ところで、ジョートショップの監視は、コーレイン君が担当している
のかね？」
「おそらく・・・」
「ふむ、丁度いいな」
ノイマンは第一部隊の控え室前で足を止めると、そう呟いた。
「フォスター君と少し話しをしていこう」
これらの出来事が起こった、その翌朝・・・
「自警団の状況は？」
高価なスーツを見事に着こなしている男は、報告に来た相手に振り返りもせ
ずに、報告を促した。
「はい、第三部隊の捜査担当者が交代しました。今までの担当はジョートショ
ップの監視任務につくようです。もう、好き勝手は出来ないでしょう」
「今度の担当は大丈夫でしょうね？」
「心配ありません。今度の担当はロビンという男ですが、今回の件で疑問を抱
いている様子はありませんから」
「結構」
男は満足げに頷く。
「それと、リカルド・フォスターが内密に前任の捜査担当者と会ったようです」
「何？一体どんな話をしたのです？」
その問いに報告者は首を振った。
「申し訳ありません、そこまでは・・・」
「リカルドの監視を強化して、その動きをつかむのです。あの男がいらぬ詮索
するようなら、先手を打たねばなりません」
「はい」
そこで、男は忌々しげに舌打ちした。
「全く、あの男も・・・飼い犬なら飼い犬らしく、飼い主にだけ忠実あればい
いものを・・・いらぬ職業意識など持って、邪魔するとは・・・」
「あと、グローウォームの方ですが・・・」
その名前を聞いた途端、男の様子がわずかに変わった。
「どうなのです？」
「相変わらずです。ここ最近は捜査をあきらめ、ジョートショップの仕事に専
念しているようです」
「そうですか。まぁ、彼がどんなにがんばっても、無駄な事ですけどね」
嫌な優越感の込められた声で言い、さらに続けた。
「それで、彼らの邪魔はしているんでしょうね？」
「それが、やってはいるのですが・・・」
「どうしたのです？」
「どうも、相手の方が一枚上手らしく、最近は・・・」
「上手くいってないと？何をしているのです！相手はたかが女子供でしょう！！」
先の苛立ちを上回る怒りを見せた男は声を高めた。
「そ、それが、彼らもこちらの妨害に気づくようになって・・・」
恐縮の体で、報告者は続けた。
「グローウォームがこちらを排除するありさまなのです」
「気づかれるとは情けないですね。もういいです、彼らへの妨害は中止にしな
さい」
「よろしいので？」
「どの道、あの男を排除できれば、あの土地は手に入ったも同然です。盲目の
未亡人１人、どうとでも料理できます」
冷酷な口調で、男は言い放った。
同時刻、旧王立図書館
「全く、アルベルトは・・・」
デアリングは、いくつかの資料をまとめながら、苦笑をもらした。今朝方、
彼はアルベルトからジョートショップ監視任務を引き継いだのだが、その時、
徹底的に愚痴られたのだ。
『ったく、お前に任せることになるなんてな』
アルベルト・コーレインは、彼を前につまらなそうに言った。何と言っても、
アルベルトはこの窃盗事件の犯人がグローウォームであるに違いない、と信じ
て疑っていない。そんな彼にとって、ジョートショップ監視任務は、グローウ
ォームの尻尾をつかむ絶好の任務なのだ。それを他人に譲れと命令されたのだ
から、つまならそうになるのも無理はない。
『まぁ、そうすねないで』
その彼は笑いを含んだ口調で、アルベルトをなだめた。
『不本意なのは君だけじゃないんだから』
『そうは言うがなぁ・・・』
アルベルトはそれでも納得できない。彼に太いくぎを刺した。
『いいか、私情をはさんで、あいつの監視を緩めるんじゃないぞ。絶対に尻尾
があるはずなんだ！』
『分かったから、早く行けってば。引継ぎは手短にやれっていう、フォスター
隊長の命令だったろ？』
『分かってる！念を押しただけだ』
『押さなくても大丈夫だってば』
『お前の場合、押しても安心出来ないんだ。いざとなったら、裏で何するか分
からないからな』
「全く、信用してないんだから」
肩をすくめる。
（まぁ、裏で何をするか分からないってのは否定しないんだけどね）
何しろ今でさえ、ノイマンの黙認と援護が付いているとは言え、あれこれと
やろうとしている身だ。否定した日には「この大嘘付き」と言われても文句は
言えない。
そんな事を考えながら資料をまとめ終えた時、彼の背後に誰かが立った。
「デアリング・デッキサイドさん？」
「誰だい？」
背後から突然声をかけられたにも関わらず、デアリングは平然としていた。
「第二部隊の者です。よろしければ、書庫までお付き合いいただけませんか？」
「・・・いいよ」
少しの間をおいて、彼は頷いた。
彼女の先導で書庫でも人気のない所に来ると、もう１人が待っていた。こち
らは、デアリングより年下、多分、トリーシャと同じ位の少年だ。その少年は、
彼に気づくと、安堵を見せて敬礼した。
「デアリングさんですね。第二部隊のシグレと言います。バイロン隊長の命に
より、あなたの指揮下に入ります」
「私の？」
「はい、彼と私・・・ヒサメの２人、今からフェニックス美術館窃盗事件の解
決まで、あなたの指揮下に入ります。どうぞよろしく」
そう言って、ヒサメは一礼した。そんな２人を前に、デアリングは小さくた
め息をついた。
「うちの隊長もよくやるなぁ」
この２人の派遣が、バイロンではなくノイマンの提案でなされた事を、察知
してのぼやきだった。が、この際、この２人の追加はありがたい限りである。
彼は基本的に情報分析者であって、情報収集者ではない。そして、情報を分析
するには、まず集めなくてはならない。情報収集に優れた第二部隊の２人は、
その目的を完璧にこなしてくれるはずだ。
「それじゃ、ちょっと付き合ってくれ」
「どちらへ？」
「ジョートショップへ。監視するのが今の仕事だからね。ついでに、挨拶に行
こうかと思ってね」
「挨拶に？」
尋ねたヒサメは眉をひそめた。
「そ。これから監視しますってね」
「あの・・・本気ですか？」
本当は「正気ですか？」と聞きたかったヒサメだが、さすがにそれはやめに
した。そんな内心に気づいていないのか、デアリングは平然と応じた。
「本気だけど、おかしいかい？」
「いえ、その・・・」
冷静さを強く感じさせるヒサメの顔に、困惑の色がにじみ出る。隣のシグレ
も、空色の瞳に唖然の色を浮かべている。様々な疑惑が浮かぶのを押さえるた
めに、彼はデアリングに問いただす。
「あの・・・何でそんな事を？」
「それは挨拶が終わった後で説明するよ」
デアリングは、どこか楽しげな笑顔と共にそう答えた。そして、表情を引き
締めると、手早く指示を出した。
「それより、やって欲しい事がある。尾行者とジョートショップ周辺の見張り
の有無を確認して、排除してくれ。これからの会話は聞かれたくない」
『承知』
デアリングの指示を、ヒサメとシグレは短い言葉で承諾し、姿を消した。そ
してデアリングは、ジョートショップへと足を向けた。
ジョートショップは通りに面した、エンフィールドの中央部に近い場所にあ
る。付近にはレストラン、ラ・ルナ等があり、立地条件は良い方に属する。
２階建ての建物は主であるアリサの性格を反映したかのように、落ち着いた、
そして入りやすい雰囲気を持っている。
今、ジョートショップの２階の１室、住み込み従業員であるグローウォーム
の部屋には、本人の他にデアリングがいる。
「全く・・・普通、見張りをする奴が馬鹿丁寧に挨拶に来るか？」
「普通は来ないね」
呆れたように言うグローウォームに、デアリングはあっさりと返してみせた。
「でも、カモフラージュには丁度いいと思わないかい？」
「怪し過ぎると思うが・・・」
「おや、私は自警団の中じゃ非主流の・・・君が犯人じゃない、と言う見方を
している人間なんだ」
「それで？」
「君の見張りなんて無意味だし、失礼だと思って、前もって謝罪してもおかし
くはないと思うんだけど？」
「それで押し通す気か・・・」
グローウォームはため息をついた。この柔和に見える自警団員らしからぬ自
警団員は、その外見に似合わずかなり図太い精神を持ち、そして何よりアルベ
ルトに代表される一般的自警団員とは比較にならないほどの冷静さと知性を持
ち合わせていることを彼は知っているが、それがもたらす悪辣さにはいささか
呆れる。
「そうでもしないといけないほど、お前は追い詰められているのか？」
長い髪をかき上げつつ、グローウォームは問い返す。デアリング・デッキサ
イドという男は、不必要に悪辣な手段をとるようなタイプではない。「出来る
限り楽をする」をモットーの１つにしている男だけに、自分の才を無意味にひ
けらかすのを好まないのだ。
「自警団にもそれなりにしがらみってものがあってね・・・君から見たら好き
勝手やっているように見えるかもしれないけど、私達も苦労しているんだよ」
「ふーん・・・だが、質問に答えてないぞ」
「いや、一応解答のつもりなんだけど・・・」
突っ込まれて、デアリングは苦笑するしかなかった。そんな彼を、グローウ
ォームは眼光鋭く観察していたが、やがて１つの結論に達したらしい。１つ頷
くと、矛を収めた。
「まぁ、そういう事にしておこう」
「ありがとう。で、さらに頼みたい事があるんだけど・・・」
「何だ？」
「出来たら、君が今まで調べた事を教えてくれないかな？色々と比較したい事
があるんでね」
と、デアリングは平然とのたまわった。さしものグローウォームもさすがに
反応が遅れる。
「・・・本気だろうからそっちについては聞かないが・・・お前、正気か？」
「一応、正気だと思っているけど？」
遠慮というものが全く無いグローウォームの問いに、デアリングは平然と応
じた。
「容疑者が、自分を疑っている連中に捜査情報を提供すると思うのか？」
「したくないのも、自警団を信じられないのも承知の上で頼んでるんだって」
デアリングは苦笑混じりにそう応じる。が、それも一瞬の事だ。次の瞬間に
は、真剣な表情になってグローウォームを説得しにかかる。
「この一件は君が予想している以上に根が深いんだ。もし、このままでいけば、
この件で無罪を勝ち取っても、根が残ってしまう。その根が残り続ける限り、
ジョートショップに安寧の日は来ない。それを避けるには、根を叩きつぶす
以外にないんだ。そのために、君の情報もいる」
彼はそう言うと、軽く息をついた。そんな彼に、グローウォームはなお懐疑
的な視線を向ける。
「・・・役に立つとは思えないがな・・・」
「そうでもない。君の視点から見たら、また別の情報が出てくるかもしれない。
私に必要なのは、そういった『別の視点からみた情報』なんだ。それは、自
警団じゃ、手に入らないからね」
そこまで言うと、彼は正面から彼を見据えた。
「それとも、このまま犯人の思うとおりに事が運ばれる方がいいかい？君は追
放され、アリサさんがジョートショップを失う方が」
「・・・・・・」
「頼むから貸してくれ。この場で書き写すだけでいいし、君やアリサさんに迷
惑がかかるような事は決してしないから」
「・・・アリサさんに迷惑をかけない。それは確かだろうな」
その問いに、デアリングは無言で頷いた。それで、グローウォームも意を決
した。
「いいだろう、俺の情報を渡そう。大したもんじゃないけどな」
「ありがとう。助かるよ」
心底から、デアリングは礼を言った。
グローウォームから情報を書き込んだ紙を受け取ったデアリングは、それを
持って陽の当たる丘公園に向かった。いつも昼寝するのに使うお気に入りのベ
ンチに座って、その情報を改めて確認する。
「・・・大当たりだな、これは・・・」
デアリングは１人ごちた。そこには、自警団が全く入手していない、そして、
真犯人に近づくための証拠があったのだ。
「デアリングさん・・・」
「ヒサメかい？来ていいよ」
「分かりました」
どこからともなく聞こえてきた声に、デアリングは無造作に応じる。すると、
いつの間にかヒサメと、そしてシグレの２人が現れ、彼の右隣に座った。
「それは・・・？」
暗灰色の長い髪を揺らして、ヒサメがデアリングの手にある紙をのぞき込む。
「読む？」
彼はそう言って、彼女の方に紙を差し出す。受け取ったヒサメと、のぞき込
んだシグレは、その情報を読み進めるうちに自分の精神が驚きに満たされるの
を自覚した。
「これは・・・！」
「彼のあの状況で、よくこれだけかき集めたと思うよ」
デアリングは、悠然とそう応じた。その紙に記されている情報は、玉石混合
と言って差し支えの無いほど、多彩なものであった。犯人と見られながら、よ
くこれだけの情報を集めてのけたという事実は、グローウォームの無罪証明へ
の執念を感じさせた。
「『挨拶』はこのためだったんですか・・・」
「まあね」
シグレの問いに、あっさり頷いて見せると、彼は目星をつけた「玉」となる
可能性を持った情報を元に分析を終え、今後の方針を決めた。
「さて、これから調査を始めよう。シグレ、君はショート科学研究所の研究報
告書を調べてくれ。機密のも込みでね」
はっきり言って、違法と言うべき命令を彼はあっさりと出す。だが、彼にた
めらいは無かった。大体が先手を取ってきたのはショート財閥である。そんな
相手に遠慮していては、勝ち目などない。彼は、法律ではなく、彼の能力が及
ぶ限りの全力をもって、この事件の真犯人を突き止めるつもりであった。
（ハメットさん、あなたは１つだけ判断を誤った。圧力をかければ黙り込むと
思ったんでしょうがね・・・反対ですよ。ここまで露骨に変な圧力をかけな
ければ、私もここまでやる気は無かったんですけどね・・・）
デアリングは、続けてヒサメに指示を出しながら、そう語り掛けた。
同日、夕刻。
「すまない。そちらの手を煩わせて」
自警団事務所、第二部隊の部屋。そこに、第二部隊隊長サウル・バイロンと、
リカルド、ノイマンが集まっていた。
「なに、気にする事じゃないさ。どうにも厄介な事になりそうな感じはしてた
からな」
ノイマンの言葉に、豊かな白いひげで顔の下半分が隠れた痩身のバイロンは、
歳に似合わない若さを感じさせる、陽気な声で応じてみせた。
「それより、あの若いの１人に任せるだけでいいのかね？」
暗に、サポートがいるなら人手を出すぞ、と示唆した言葉に、ノイマンは首
を振って見せた。
「その必要はあるまい。彼なら、あれで十分真相を突き止めるだろう。我々老
人は、ただ、見守るだけで十分だ」
「俺としては、どうにも不安だがね。ちょいと頼りない気がするんだが・・・」
「それ以前に、失敗する危険性もありえますが・・・」
年長者２人の会話に、あえてリカルドは割り込んだ。
「急ぎすぎても失敗しますが、この件は来年の３月末までに解決しなければな
らないのです。それまでに間に合うのか・・・」
「そのために、君に囮をやってもらうのだ、フォスター君」
焦りの色が見え隠れするリカルドに、ノイマンはなだめるように言った。
「・・・本当の所を言いますと、私が調べたかったのですが・・・」
「仕方がないさな。お前さんじゃ、目立ちすぎる。自分の名声ってものは正確
に把握せんとな」
バイロンが、どこか楽しげに笑いながら言う。そんな彼に、リカルドはやや
とげのある視線を投げつけた。
「私に名声なんてものはありませんよ」
「それがいけない。謙虚なのは美徳だが、度が過ぎると嫌味になるぞ」
反応に困って黙ってしまったリカルドを楽しげに見ながら、バイロンは「紅
茶入りブランデー」をすすった。
（まぁ、気持ちは分かるがね）
と、心の中で付け加えた。
「君がどう思っているかは、この際関係無いのだ。周囲が君をどれほど注目し
ているかが重要なのだ」
「大体、娘さんにまでばれているようじゃ、困るわな」
ノイマンの説明に、バイロンがからかうように付け加える。
「相手は、その気になればいくらでも証拠を隠滅出来るからな。それを避ける
には、ひっそりとやるしかない。これは、お前さんには出来ない芸当だ」
「だから、デアリング君ですか？」
リカルドの反問に、ノイマンはあっさりと頷いてみせた。
「彼の場合、知っている者は確かに多い。だが、どこで何をしていてもおかし
くは思われない男だ。それに、元より、この事件の犯人に疑問を覚えている
から、多少の事では話題にもならないだろう」
つまり、彼があちこちうろついていたり、図書館にこもって本を読む「変わ
り者自警団員」として知られている事を逆手にとっての「偽装」である。日頃、
そんなに目立つ男ではないことも、この「偽装」に役立っている。
「ですが・・・」
「そのために、ジョートショップの監視任務につけたのだ。監視である以上、
彼らのいるところにいても、おかしくはないからな」
１週間後、事態はノイマンの言う通りになった。最初の内こそデアリングが
フェニックス美術館窃盗事件の捜査担当を外された事は、ちょっとした話題に
なったものの、すぐに人々の関心の対象外となってしまった。
そして、１ヶ月もすると、「監視」の彼がジョートショップの仕事場に姿を
見せるのも珍しいことではなくなってしまった。
（これで下地は整った、と・・・）
デアリングは、ショート家の庭先で、花壇を作るグローウォーム達を見なが
ら呟いた。
（さて、ハメットさん、あなたが仕掛けた事、探らせていただきましょうか）
デアリング・デッキサイドは、フェニックス美術館窃盗事件に関する事象の
水面から、姿を消した。彼が再び水面上に「浮上」するのは「真相」をつかん
だ半年後の事になる。
こうして、捜査員は水面下に潜行した。
ＥＮＤ
後書き
松です。「潜行、水面下へ」をお届けします。
うーん、当初は「ラブ☆ポーション」ＳＳが先に来るかと思いましたが、こ
っちが先になりました。ちなみに、時間的にはこちらの方が「ラブ☆ポーショ
ン」ＳＳより先なんですけどね（ゲーム内時間で１０月を想定）。
で、中身は・・・自警団ＳＳ（苦笑）。ただ、「トリーシャにばれるような
リカルドの動きに、ハメットが気づかなかったとは思えない」と思って書いた
訳ですが・・・何だか、よく分からない代物になってしまったかも；
要は、自警団側がどうしていたかを書きたかったわけです。
＃この辺の頭脳戦は、どうも上手く書けない；
＃全体の筋としては単純なはず・・・ハメットは自身に捜査の手（デアリング、
＃リカルドらの）が及んだので圧力をかけた。決定的証拠がない自警団は表面
＃的に中止して、デアリングに第二部隊の隊員をつけて極秘裏に捜査させる・
＃・・というわけです。（ジョートショップの「監視」は隠れ蓑です）
デアリングは、以前も出てますが２ｎｄ分ＳＳの主人公です。「１」分のＳ
Ｓではおいしいところを取りまくるかも；
なお、今回出てきた第二部隊の面々、サウル・バイロン隊長、ヒサメ、シグ
レの３人はこちらの創作です。この中でシグレだけは、後で出番が多めにある
という・・・。ところで元ネタ分かります？（ヒサメ、シグレはすぐにバレそ
うだけど(^^; ）
「１」分の話としてはあと５つくらいですかね。
＃「ラブ☆ポーション」ＳＳにシャドウ絡みのＳＳ、いらないかなーと思って
＃いる自警団ＳＳに本編ラストイベントＳＳ、それにどうでもいいやと思って
＃いる（すでに似たストーリー展開のＳＳがあるので）大武闘会ＳＳです。
それでは、こんな所で。
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松