『何です、これ？』
ようやくの事でローラから解放されて帰ってきたグローウォームは、その小
瓶を陽の光に透かしながら、そう尋ねた。
『それ？それはマリアちゃんの忘れ物よ』
『マリアの、ですか？あいつ、香水なんて使ってましたっけ？』
そう言って、彼は記憶を探る表情になる。今までの職業ゆえに、嗅覚・・・
というか、五感全てが並の人間より鋭い彼の記憶に、マリアが何がしかの香水
の類を使っていた、という項目は存在しない。そうなると、気になってしまう
のが人間の性というものである。彼とて、その性を無視する事は出来ない。
『一体、どんな香水なんだ・・・？』
そう呟いて、ふたを開ける。続けて、瓶の口のあたりで手を使って匂いだけ
を自分の方に寄せる。ショート科学研究所での手伝いの経験から、薬品の匂い
をかぐ時は、薬品の入った容器を近づけてはならない事を知っているからだ。
『・・・？』
『どうしたっスか？』
『何にも匂わないぞ。本当に香水なのか？』
グローウォームは小首を傾げた。仕方なく、容器を近づけて匂いをかぐ。そ
れでようやく、わずかな香りが彼の鼻に届いた。
『ずいぶんと控えめな香水だな』
香水として使えるのかね、と内心で疑問に思いながらも、一応の確認を終え
た彼はふたを閉める。
『まぁ、今度マリアが来たときにでも渡しておきますよ』
『・・・・・・』
アリサからの返事がない。不思議に思ったグローウォームは、彼女の顔をの
ぞき込む。
『アリサさん？』
『えっ？あ、どうしたの、グロウクン？』
『この香水、マリアがここに来たら渡しておきますって言ったんですが・・・」
『そう・・・お願いするわね・・・』
応じる声もどこかぼんやりとしている。
『アリサさん、どうかしたんですか？』
『・・・何でも、ないのよ。あ、そうそう、夕ごはんの仕度を始めないと・・
・』
唐突に話題を切り替えると、アリサはあわただしく台所へと向かったのだっ
た・・・。
そういった出来事をかいつまんで聞かされたエルは、即座に断定した。
「これが原因だな・・・」
「この香水が・・・？」
驚くシーラに、エルは真剣な表情で頷いてみせる。
「おおかた、マリアが作った魔法薬−多分、惚れ薬なんだろうな。それをグロ
ウがそうと気づかずに嗅いだもんだから、アリサにその効果が及んだ、って
ところなんだろうな」
大まかながらも、見事に事象の全てを押さえた推理である。
「一体どうしたら・・・」
戸惑うシーラに、エルは手早く説明を始めた。
「アタシはグロウとマリアを探しに行く。シーラ、お前はここに残って、後か
ら来る連中に事情を説明して、２人を探しに行かせてくれ」
「はい」
緊張の色も露わに、彼女は頷く。そんな彼女に、エルはさらに指示を加える。
「あと、マリアが来たら、何も言わずにここに居させろ。絶対に逃がすな。い
ざとなったら、縛り上げても構わないから」
過激な指示に、シーラの頬に冷や汗が伝う。
「あ、あの、何もそこまでしなくても・・・」
「甘いよ。それくらいしないと、あの爆裂魔法お嬢様は絶対に逃げる」
あっさりと一蹴して、キッパリと言い放つ。さらに念を押した。
「いいかい、絶対にマリアを逃がすんじゃないよ。あいつに聞かなきゃ、解毒
剤は作れないんだ。分かったかい？」
「え、ええ」
「じゃあ、アタシはグロウ達を探してくるから」
冷や汗を頬に伝わせながらもシーラが頷くのを見ると、エルは身をひるがえ
して、ジョートショップを飛び出した。
再び、さくら亭。
カランカラン・・・
「いらっしゃーい・・・って、アリサおばさん！？」
「お邪魔するわね、パティちゃん。グロウクンは来てないかしら？」
驚くパティに、テディすら伴わず現れたアリサは、挨拶もそこそこに切り出
した。
「えっ？グ、グロウですか・・・？き、来てませんよ」
引きつった顔と声で答えるパティ。そんな彼女をフォローするために、リサ
が口を開く。
「アリサさん、ボウヤがどうかしたんですか？」
「ええ、ちょっと用事があって・・・」
そう答えると、アリサは目を閉じて何事か呟く。
「・・・・・・？」
「あの・・・アリサおばさん？」
「・・・そう、ここにいるのね・・・」
「えっ！？」
突然の呟きにパティが驚きの声を上げると、アリサはにっこり微笑んだ。
「パティちゃん、ちょっとお邪魔するわね」
一方的に宣言すると、彼女は足早に２階へと上がる。やがて・・・
「グロウクン、見つけた〜☆」
「どわ〜〜っ！！パティとリサのバカヤロ〜〜っ！！！」
アリサの歓声と、グローウォームの絶叫とが響き渡ったのだった・・・。
「グロウ、ごめん・・・」
聞こえないのは分かっていても、ついつい謝ってしまうパティ。その隣で、
リサは呆れたように首を振っている。
「まいったね、どうしらいいんだ？」
どうやらアリサには、グローウォームの位置が完全に把握できるらしい。こ
れでは、いくら誤魔化そうが無意味だ。何かいい対策は無いかと考えていると、
そういう事を考えるのが得意な男が姿を見せた。
「何か騒々しいかったけど、何かあったの？」
「ああ、デアリング。ちょうどいいところへ来たね。実は・・・」
同時刻、エルはさくら亭の２階の窓から飛び出すグローウォームの姿を確認
した。
「おい、グロウ？」
「すまん、エル。今、急いでるんだ」
そう言うと、エルに何も聞かせず、その傍を駆け抜ける。
「おい、ちょっと待てよ」
慌てて、その後を追いかけると・・・
「グロウク〜ン、待ってぇ〜☆」
甘い声のアリサが追いかけてくる。およそ臆病とは縁の無いエルだが、これ
には恐怖を覚えた。半ば彼女から逃げるように追いかけると、ほどなくして先
行するグローウォームと並ぶ。
「おい、グロウ！」
「何だ？」
「あのアリサは何なんだ！？」
「俺に聞くな！！一昨日から、迫ってくる時はあんな感じなんだ！！」
必死になって逃走しつつ、グローウォームは付け加えた。
「とにかくアリサさんを振り切ろう！！」
「分かった」
２人は俊足を飛ばして、アリサを引き離しにかかった。
「ふーふふふん」
自警団事務所のすぐそばにあるフォスター邸、そこで、トリーシャは鼻歌ま
じりに洗濯物を干していた。父子家庭である彼女にとって、この手の家事はす
でに習慣に等しい。一通り干し終わった彼女は満足げに頷いた。
「はぁーっ、これで終わり！」
そう言って手をはたくと、洗濯籠を小脇に抱えて家へ戻ろうとする。
「午後の授業まで、まだ時間があるから・・・」
どうしようかなー、と言いかけた時、玄関の方に見慣れた２人を見出した。
「あれ、グロウさんにエルじゃない。どうしたの？」
２人に呼びかけると、先に反応したのはエルだった。
「ああ、トリーシャ。悪い、ちょっと隠れさせてくれないか？」
「え？」
突然の申し出に、思わず混乱したトリーシャだった。
「あはははは・・・」
「笑い事じゃないぞ、トリーシャ」
自分の部屋で一通りの説明を受けて、笑い転げる彼女に、グローウォームは
苦い口調で訴えた。
「ゴメンゴメン。でも、アリサおばさんに迫られて・・・ぷっ、あはは」
「だーかーらー」
グローウォームが思わずうなると、エルが彼を止めるように、そしてトリー
シャをたしなめるように口を開いた。
「本当に笑い事じゃないんだ、トリーシャ。こいつの話だと、アルベルトの奴
が怒り狂って追いまわしているらしいんだ」
「でも、それっていつもの事じゃないの？」
「こいつが本調子なら、『いつもの事』で済むさ。でも、この馬鹿、ここ２日
ばかりろくに寝てないんだと」
「うーん・・・」
トリーシャはベッドに腰掛けたまま、腕を組んで考え込んでしまった。
「でもさぁ・・・それならいっそ、グロウさん、アリサおばさんと付き合っち
ゃったら？」
「トリーシャ！！」
さすがに声を荒げるグローウォーム。だが、彼女は不思議そうに聞いてくる。
「そんなに嫌なの？アリサおばさんは優しいし、きれいだし・・・歳だってそ
んなに離れているわけじゃないんでしょ？」
半分以上は冗談であることは明白だったが、それでもグローウォームは剣呑
な表情を崩さなかった。
「それに、付き合い始めたら、案外、アルベルトさんも大人しくなるかもよ？」
茶目っ気たっぷりに言ってみせるトリーシャだが、直後に彼のカウンターア
タックを食らう羽目になった。
「トリーシャ・・・」
「何？グロウさん」
「今から聞くことに答えろよ。仮に、だ、仮にリカルドのおっさんとお前とが
実の親子じゃなく、その上でおっさんがお前に「結婚してくれ」って言って
きたら、お前は受けるか？」
半ばうなり声でなされた無茶苦茶な質問に、トリーシャは思わずひっくり返
ってしまった。あまりのすさまじさに、エルも床に突っ伏してしまっている。
それでも、「直撃」ではないエルはかなり苦労しながらも立ち直って起き上が
ったが、トリーシャはひっくり返ったまま、起き上がることもかなわずピクピ
ク痙攣なんぞしていた。
「ちょ、ちょっと、なんなんだよー！！」
ひっくり返ったまま叫ぶトリーシャ。ようやくそれで起き上がる余裕が出来
たらしい。何とか起き上がると、かなりの怒りを込めて、叩きつけるように叫
ぶ。
「そんな事、絶対ありえないよ！！」
「だから仮に、と言っただろうが。大体だ、これがおっさんの耳に入ってみろ、
確実に絞め殺されるぞ！それを覚悟の上で聞いているんだ。答えろ、お前は
結婚の申し込みを受けるのか？」
「そんなの、受けるわけないじゃないかぁ！！」
「実の親子でなければ、結婚に問題はない。歳の差は大きいが、別に非難され
るほどでもない。それに、頼り甲斐だってあるな。結婚対象として、それほ
ど悪い相手でもないだろう？なのに何故受けない？」
「それは・・・」
容赦無く見据えるグローウォームの視線に耐えかねて、トリーシャは思わず
視線をそらす。はっきり言って気迫の差が大きすぎる。これでは勝負にならな
い。彼女は両手を上げて非を認めた。
「ゴメン！ボクが悪かったから、お願いだからカンベンしてよぉ！！」
それでようやくグローウォームも矛を収めた。１つため息をつくと、さっき
までとは別人のように力無い口調で呟く。
「別に、何か理由があるわけじゃない。ただ、俺はアリサさんをそういう目で
は見れない。ただ、それだけなんだ・・・」
「もう十分わかったよ・・・つまり、グロウさんにとってのアリサおばさんは
・・・」
「まぁ、多少の違いはあるが、大体そう思ってもらって間違いはないな」
グローウォームが髪をかきまわしつつ頷いて見せる。
「それより、対策を立てた方がいいんじゃないか？」
「あ、そうだ。なんとかして、アリサおばさんとアルベルトさんを止めなきゃ」
「別に、アルベルトはどうでもいいよ。今の状態でもどつき倒せるし、アリサ
さんがまともになれば、止まるだろうから」
さりげなく、物騒な事を混ぜて言うグローウォーム。が、その物騒さに、誰
も気づくことはなかった。それどころか、あっさりと頷いてみせるありさまだ
った。
「そうだね。アリサを止めれば、アルベルトは止まるだろ。とにかく、アリサ
を止める事が最優先だな」
「でも確かエルの話だと、アリサおばさんを止めるにはマリアの協力がいるん
だよね？」
「ああ。アリサがおかしくなった原因は、マリアが持っていた薬に違いないか
らな。あいつを締め上げて、解毒剤を作らせないと・・・」
エルはそこまで言うと、軽く髪をかき上げて隣に座るグローウォームを見た。
「それと、俺がどう姿を隠すかだな」
「グロウさんが？」
トリーシャが小首を傾げた。
「アリサおばさんから逃げて来たんでしょ？ここにいれば大丈夫だと思うけど
なぁ・・・」
「俺はさくら亭に逃げ込んでも見つかったんだが・・・」
「それに、アタシ達は隠れながら来たわけじゃないから、見つかるのは時間の
問題だと思うな」
「う〜ん・・・」
トリーシャが首をひねっていると、呼び鈴の軽快な音に続いて、３人とも聞
き覚えのある声が飛び込んできた。
「おーい、トリーシャ。いるかい？」
「デアリングさん？何の用だろ？」
何とはなしに呟くと、トリーシャは玄関へと向かった。軽快な足取りで降り、
ドアを少しだけ開けると、そこにはいつもと同じ、地味な格好をした細身とい
うより華奢な印象を受けるデアリングがいた。
「やあ、トリーシャ。ちょっといいかい？」
「え・・・うーん、今は・・・」
困ったように口ごもる。そんな彼女に、デアリングはさりげなく言葉の爆弾
を投げつけた。
「グローウォームがいるから、困る？」
「え・・・ど、どうしてそれを知ってるの！？」
「さくら亭で、パティとリサから聞いた」
実際には、さらにジョートショップでシーラから話を聞いているのだが、ま
あ、トリーシャを納得させるのに、その辺を話す必要はないだろう。
「それより、グローウォームはいないかい？パティに手を貸してくれって頼ま
れたんだけど・・・」
「・・・デアリングさん、ツケの支払いをタテに取られたんでしょ」
パティの名前を聞いて、ふと思いついた推理を彼女は口にする。
「えーと・・・まぁ、その辺はあまり追求しないでくれないかなぁ」
図星だったか、冷や汗一筋たらしつつ、デアリングはわざとらしい笑いと共
にそらっとぼけた。
「はぁ・・・まあ、いいや。上がってよ」
ため息混じりにそう言って、トリーシャは彼を迎え入れるためにドアを開け
た。
さて、トリーシャの部屋に入ったデアリングは、グローウォーム、エルの２
人から事情を聞いた。
「災難だったね」
「過去形で言うな。まだ終わってない」
グローウォームの疲れた突っ込みに、デアリングはポンと拳で手のひらを打
った。
「ああ、そうだった」
「あのな・・・」
疲労感がにじみ出ているグローウォームに代わって、デアリングに質問した
のはエルだ。
「それよりお前、よく、ここにいると分かったな」
「ああ、それは聞きこみと推理の結果だけどね。まぁ、いくつか候補はあった
んだけど、１つ目で大当たりだったね」
「どう推理したんだ？」
「まず、グローウォームはアリサさんから逃げおおせたかった。なら、アリサ
さんが予想しない場所で、なおかつ、かくまってくれそうな場所を選ぶだろ
う、って思ったんだ」
「なるほどね。リカルドのおっさんがいる可能性があるこの家には、こいつが
来たがるはずもない、か・・・」
軽く頷きながら呟くエル。落ちかかってくる髪をかき上げて、もう１つ質問
をぶつける。
「で、お前が来たって事は、何か考えがあってのことだろ？」
「まあね」
デアリングは穏やかな口調で応じると、悪戯を楽しむような微笑みを浮かべ
て、さりげなく言った。
「アリサさんの目を、少なくとも今日いっぱいくらいはごまかせる隠れ場所に
心当たりがあるんだ」
「ええーっ！？」
「今日１日ごまかせるなんて、一体どこなんだ？」
驚くトリーシャ、首を傾げるエル、そして無言で説明を求めるグローウォー
ムの３人に向かって、彼は答えを告げる。
「自警団関連施設なら、アリサさんも気づかないと思わない？」
「まさか、自警団事務所とか言う気じゃないだろうな？」
グローウォームが目つきを険悪にしてにらみ据える。並の人間なら寒気を感
じるであろう視線を受けても、デアリングは平然としていた。
「あそこじゃ、君が逃げるだろう？そっちじゃなくて、自警団の団員寮だよ。
街外れにあるし、関係者以外は入れないことになっているから、まぁ、大丈
夫だと思うけど？」
「なるほどね。確かに、こいつがいるとは思わないだろうな」
「私の部屋を開けるから、そこで待っていればいい。今から案内するよ」
方針は、決まった。
自警団団員寮は、エンフィールドの東の外れに位置している。南の祈りと灯
火の門の近くに位置する事務所からかなり離れているが、これはエンフィール
ドを貫く街道の両端を押さえやすいようにという、防衛上の観点からの配置で
ある。
そこへ、グローウォーム達は人目につかないようにローズレイクの南側を回
ってたどり着いた。
「はい、どうぞ」
デアリングの案内で彼の部屋に案内されたグローウォーム達は、意外に散ら
かってない事に驚きを覚えた。
「意外に片付いているんだね、デアリングさんの部屋」
「物がないだけさ。そこのソファーを使ってくれ」
「ああ」
頷いたグローウォームが座り、続いてエルがその隣に座った。その気になれ
ばそこで寝られるくらいの幅を持つソファーだけに、２人が座ってもまだ余裕
がある。その余裕を活かして、トリーシャがグローウォームの隣に座ろうとし
たが、デアリングの無情な一言が彼女の楽しみを粉砕してしまった。
「さて・・・と、トリーシャはこれからマリアを探すのを手伝ってくれ。エル
はここに残って、彼の守役を頼む。何かあったらジョートショップに逃げて
くれ」
「ええーっ！？」
「どうかしたのかい、トリーシャ？」
対マリア用の魔法アイテムをいくつか選んでいたデアリングが、振り返って
問いかける。そんな彼の耳元に、トリーシャが声を押さえてささやいた。
「何でボクなの？マリアを捕まえるならエルの方がいいじゃない」
「エルがマリアの居場所を知ってるとは思えないんだけど？君なら知ってるだ
ろ？」
「う、う〜ん・・・」
もっともな返答に、トリーシャは詰まってしまう。そんな彼女に、デアリン
グはからかうように笑みを浮かべて問い返した。
「それとも、グローウォームと２人きりになりたい？」
「デアリングさん！！」
ほほを赤くして叫ぶ彼女に向け、デアリングはなだめるともからかうともつ
かぬ口調で言った。
「ま、あきらめるんだね。君の情報がないとマリアは見つけられないんだから」
「う〜、分かったよぉ」
半ばわが身の不幸を嘆くように応じて、トリーシャは渋々ながらもデアリン
グに付き合ってマリアの捜索を行うことになったのだった。
「じゃ、鍵はかけとくから、後はよろしく」
「それじゃ、いってきまーす」
デアリングとトリーシャがそう言って出かけると、残されたグローウォーム
に異変が起こった。いきなり隣に座るエルに寄りかかったかと思うと、そのま
ま彼女の肩に頭を預けたのだ。
「グロウ！？」
「すまん・・・かなり眠い・・・肩、借りる・・・」
驚く彼女に向かって、ほとんど囁くように言うと、グローウォームは本当に
彼女の肩を枕代わりに眠り始めてしまった。
「おい！寝るならちゃんとベッドで寝ろ！人を枕代わりにするんじゃない！！」
そう言って、エルは彼の肩を揺さぶったが、彼はうっすらと目を開けてボソ
ボソと答える。
「いい・・・ここで・・・いい・・・落ち着くから・・・」
それだけ言うと、また目を閉じ、エルの肩に頭を預ける。
「おい！！」
先ほどよりさらに大きな声を出したが、グローウォームは熟睡してしまった
らしく、起きる素振りさえ見せない。仕方なく起こそうと肩を揺さぶるとバラ
ンスが崩れて、彼の身体はズルズルと落ちてしまった。上半身を預けるように
して無防備に眠る姿に、彼女は無理に起こそうという気がなくなってしまった。
「ったく、何が『落ち着く』んだか。この姿勢で」
呆れたように呟いて、軽くエメラルド色の髪をかき回す。それでも、このま
まにしておくわけにもいかず、彼女はグローウォームの足をソファーの上に引
き上げる。さらに自分の足を注意深くずらして、彼の頭が自分のひざにくるよ
うにした。抜け出す、という選択肢もあるにはあるのだが、ここまで無防備に
眠られると、それもためらわれた。
「まったく・・・」
安心しきったその寝顔を指でつつきながら、エルは呟いた。
「・・・そう言えば、前にもこんな事があったな・・・」
グローウォームが窃盗犯として逮捕される前の話である。彼女とグローウォ
ームは一緒に薬草やら香草等を採りに行ったのだ。その時、たまたま雨に降ら
れ、雨宿りするハメになった。雨宿りしたその洞穴で、濡れた服がが乾くまで
の間、２人は１枚しかなかった毛布にくるまったのだ。その際、グローウォー
ムが「温かいな」と呟いて、彼女の肩に頭を預けて眠り始めたのである。預け
られたその瞬間こそ、どつき倒してやろうかと思った彼女だが、今と同様、無
防備に安心して眠るその姿にやる気が失せたのだった・・・
「何だってそんなに安心出来るんだ、お前？」
この一件以来、グローウォームに対して抱くようになった疑問である。日頃、
自分に対し「信用しろ」と言う以上に、グローウォームは自分を「信用して」
いる。
それは分かるのだが、「何故」信用しているのかが分からない。アリサのよ
うな「命の恩人」というわけでも、トリーシャやシェリルのように彼を日頃か
ら慕っているわけでもない。そんな自分をどうして・・・。
起こして聞いてみたい気もしたが、自分の疑問のために、ここまで熟睡して
いる彼を起こそうとは思わないエルだった・・・。
さて、その頃、ジョートショップでは・・・。
「出来たぁ☆」
宿題から解放された時のような歓声を上げて、マリアはフラスコをかかげた。
「それじゃ、早く詰めて！急いでグロウの所に行って、惚れられ薬を中和しな
くちゃ！！」
解毒剤と中和剤、それぞれの作製を手伝ったパティがマリアを急かす。そん
な２人を見ながら、同じく作成手伝いのシェリルがエプロンを外す。
「グロウさん、きっと待ちくたびれているでしょうね」
「ま、逃げ回るよりは、待ちくたびれている方がましだろうけどね」
こちらは道案内役のデアリングが、小さく笑みをこぼしつつ、そう応じた。
彼らがジョートショップを出発してから１０分ほど経った自警団団員寮。
グローウォームに膝枕してやっているエルは、何か物音を捉えた。
（何か来た？）
それらは、軽やかな足音を供に連れて、こちらに近づいて来る。ほんのちょ
っとだけ迷ったが、すぐに決断した。
「おい、グロウ、起きろ。誰か来た」
「ん・・・」
「早く起きろ、足音がしているんだ」
「ああ・・・」
エルに肩を揺さぶられて、グローウォームはゆっくりと目を開けた。上半身
を起こして軽くのびをすると、彼女に問いかける。
「エル・・・俺、どれくらい寝ていた？」
「３０分は寝てないと思うぞ」
「そうか・・・に、しちゃ良く眠れた・・・」
「熟睡してたもんな、お前」
半分は呆れたように、エルが呟く。そんな彼女に、穏やかな微笑みを浮かべ
ながら応じる。
「そりゃ、側にお前がいたからだ」
「え？」
驚くエルに向かって、彼は淡々と語る。
「お前の側なら、そうそう間違いはないからな。熟睡も出来るさ」
「そんなもんなのか？」
「そんなもんです」
真面目くさった表情でグローウォームが同意すると、デアリングを先頭に、
マリア、パティ、シェリルが姿を見せた。
「お待たせ。さっそく、解毒しようか」
「ああ、やってくれ」
デアリングの言葉にグローウォームが頷くと、マリアが何か小瓶を持って近
づいて来た。
「じゃ、グロウ。この薬をかけて」
「これか？」
マリアから瓶を受け取ると、彼は香水のようにそれを振りかけた。それを見
届けると、マリアは頷く。
「じゃ、魔法かけるから、じっとしててね☆」
「失敗するんじゃないぞ」
基本的にマリアの腕を信用していないエルが、ほとんど反射的に釘を刺す。
するとマリアもまた、反射的に言い返した。
「ぶ〜☆エルといっしょにしないでよ」
「マリアちゃん、早く魔法を・・・」
やり返しすマリアを、シェリルが急かす。確かに、今はいがみあっている場
合ではない。マリアもすぐに表情を引き締めた。
「水の精霊、流したまえ・・・」
いつもとは違う、真剣そのものの表情でなされる詠唱は、声に力があり、そ
れだけで「上手くいく」と思わせるものがあった。そして、呪文は完成した。
「〈イレース・ポイズン〉！！」
言葉に応じて、治療系魔法と同じ光が、先ほど薬を振りかけた辺りを回り始
める。しばらくそうしていたかと思うと、光はそのまま彼の身体に吸い込まれ
た。
「・・・これで、大丈夫よね？」
「ええ、これで無効化出来たはずです」
パティの問いに対するシェリルの回答を聞いて、グローウォームは大きなた
め息をついたのだった。
その後、暴走するアルベルトをどつき倒して正気に戻し（この時、グローウ
ォームとエルが見事なコンビネーションを見せた）、グローウォームを探しま
わるアリサを解毒剤で正気に戻した。
無論、これも一筋縄では行かなかったのだが、まぁ、それは事細かに語るほ
どの事ではなかった、とだけ記しておく。
「疲れた・・・」
ジョートショップ帰りついたグローウォームは、ぐったりとなってソファー
に身体を沈めていた。
「グロウくん、大丈夫？」
「あんまり・・・」
心配げにのぞき込むシーラに、彼は力無い、疲れきった笑みを浮かべること
しかできない。
そんなグローウォームとは対照的に明るいのがアリサだった。今も疲れきっ
た彼のためにケーキを焼いているのだが、その足取りは極めて軽かった。
「ご主人様、ずいぶんとうれしそうっスね」
「そうかしら？」
わずかに首をかしげながら、アリサは応じた。その口元が微かにほころんで
いる。
「そうかもしれないわね・・・でも、テディ。そんな事より、お皿を用意して
くれないかしら？」
「ういっス」
そうやってテディに仕事を言いつけると、彼女は焼き上がったスポンジをオ
ーブンから取り出した。目が不自由とは思えないほど、手際よくスポンジを３
枚に切って、デコレートしていく。そうしながら、彼女はポツリと呟いた。
「そうね・・・あの時の・・・あの人を追いかけたみたいで、楽しかったかも
ね・・・グロウクンには悪いけど・・・」
別にこの呟きが聞こえたわけではないだろうが、この一件でグローウォーム
にちょっとした後遺症が残った。それは・・・
「エル、ちょっと昼寝するからしばらく頼む」
「おい！また人に頼んでのうのうと寝るんじゃない！！」
「おやすみ・・・」
１ヶ月ほどのことだが、アリサの側でも（つまりジョートショップでも）安
心して眠れず、しばらく慢性的睡眠不足に陥った彼は、それを解消するために、
そう言ってエルの側で昼寝をするようになったのだ。
「よく寝ているねぇ。この隙にちょっと化粧でもさせて・・・」
「やめろとけっての。こいつ、本気で寝不足なんだぞ、アレフ」
グローウォームの寝姿など見たことがないアレフは、ここぞとばかりにちょ
っかいを出そうとするのだが、頼まれてしまったエルにきっちり止められるの
であった。
ところで、この事件の原因となったマリアだが、当然のごとくグローウォー
ムに叱られ、罰として勉強ついでの図書館の仕事を押しつけられたのだった・
・・。
ＥＮＤ
後書き
松です。「クスリの悪夢」をお届けします。
宣言通りの「ラブ☆ポーション」ＳＳです。ついでに言うと、久方ぶりのコ
メディタッチなＳＳです。（ここの所、悠久補完のミステリもどきＳＳばかり
でしたから；）
実は結構難産でした。例によって例のごとく、シーンのつなぎが上手く行か
なくて・・・；今回、少しテンポが悪いかも；
それ以上に困ったのが、エルとグローウォームの関係の説明だったりして；
何せ、私の頭の中では、この２人がくっついているのが自然な状態なので、あ
らためて「何で？」を書こうとするのは難しいです。（原因はしっかりあるの
ですが、そこをＳＳにしていない；）
まぁ、「１」補完分が終了した後のＳＳで書くとは思うのですが・・・；
それでは、こんな所で。
感想、ご意見などは掲示板へどうぞ
松