手当ても終わり、３人が持ってきた服に着替えたグローウォームはソファー
にその身を沈めていた。そうでもしないと、体力の回復が図れないからだ。そ
んなわけで、彼の仲間達が対戦者の観察や、試合の消化状況といった情報を集
めて回っていた。
その１人（？）であるテディが、血相を変えて控え室に飛び込んで来たのは、
手当てを終えてから３試合ほどが消化された時の事である。
「た、た、大変っスぅ〜！！」
「どうしたんだいテディ？そんなに慌てて・・・」
たまたま控え室にいたリサが、振り返って応じる。グローウォームは反応す
る気がないらしく、目だけをテディに向けた。そして、エルは騒々しさに眉を
寄せて呟いた。
「何か変なモノでも拾い食いしたのかい？」
「違うっス！！そんなことじゃないっスよ！！」
あまりな言われように、すかさず抗議すると、テディは手近なテーブルに飛
び乗って、衝撃的な情報を告げた。
「リ、リ、リカルドさんが・・・ま、負けたっス！！」
「何だって！？リカルドが・・・負けたぁっ！？」
リサ以下、控え室にいた面々が驚愕する中、グローウォームだけは冷静だっ
た。あるいは反応が鈍かった。
「・・・誰に、だ？」
ゆっくりと問われたテディは、どもりながら答える。
「れ、例の少年にっス！確か・・・ケビンとかいう名前だったっス！」
「ウッソ〜！？」
Ｂ−１グランプリなどでその実力を知っているパティが思わず叫ぶ。そうい
った格闘技とは無縁のクリスも呆然となっていた。
「そんなの、とても信じられないよ・・・」
「でも事実っス！現に次にその少年と対戦するのがグロウさんなんスから！」
「ちょっと待て！」
テディの告げた「事実」にエルが口を挟んだ。グローウォームも、その意味
を察して頷く。
「組み合わせからいけば、その少年とはまだ当たらないはずだぞ」
２人の疑問に、またまたテディが明快な回答を返した。
「次の試合でグロウさんと当たるはずだった人が棄権したんスよ」
「・・・？そりゃまたどうして？しびれ薬を飲んだのか？」
グローウォームの当然の疑問に対するテディの回答は以下の通り。
「その人がまた謙虚な人で、あんなゴーレムを一瞬で倒すような人に自分が勝
てるワケないって言って・・・」
「それで棄権したっていうのか？・・・それって『謙虚』なのか？」
「違うと思うけど・・・」
グローウォームの呆れ半分の声に、リサも呆れ半分に応じる。その辺の異議
には、一切取り合わず、テディは事実だけを改めて告げた。
「とにかく、それで次に当たるのが噂の少年ってことになったっス！」
「そうか・・・」
グローウォームは小さく頷くと、再びソファーに沈み込んだ。疲労のためで
はない。考えるためだ。目を閉じて、この後に控えている戦いを、いかに切り
抜けるかを考えようとする。先の対ゴーレム戦も、同じように考えて戦ったの
だ。そして、考えを進めて行くうちに、肝心な情報が欠落していることに気が
ついた。
「テディ」
「なんスか？」
「そのケビンって奴は、リカルドのおっさん相手にどう戦ったんだ？」
相手の戦い方が分からなければ、対策など立てようがない。そう判断しての
問いだったが、テディは首を振って見せた。
「よく分からないっス。ボクは、対戦表を見て知ったんスから」
「そうか・・・なら、すぐに調べてきてくれ。対策を立てるのに必要なんでね」
「私が調べるよ。リカルドをどう倒したかってのは、私も興味あるからね」
「じゃあ、頼む」
リサの提案に、グローウォームは頷いた。
「任せておきな」
軽くウインクすると、彼女はテディの代わりに控え室を後にする。そんな彼
女と入れ替わるように、青髪の少年が控え室へと入って来た。エル達はリカル
ド敗北という事に気を取られ、グローウォームは次の試合に集中していた。だ
から、その少年が彼の前に来るまで、誰一人としてその存在に気付かなかった。
「ん・・・君は？」
目の前に立たれて、さすがに気がついたグローウォームは、そう問いかけな
がら目を開けた。問われたその少年は、取りようによってはすごく不遜にすら
思える態度で話しかけた。
「あんたがグローウォームさんかい？」
「ああ・・・で、君は？」
グローウォームが頷き、問い返すと、ようやく名乗った。
「僕はあんたの次の試合の対戦者でケビンっていうんだ」
その名前に、グローウォームは目をまん丸にした。
「すると・・・君がリカルドのおっさんを倒したのか？」
「ウソでしょ！？だって、どう見てもクリスより年下じゃない！！」
パティが思わず絶叫する。エルも思いは同じであるらしく、驚愕のために目
を丸くしている。
確かにパティの言う通り、このケビンという少年は、クリスやマリアより年
上には見えない。それどころか、グローウォームやエルのような「武術の熟練
者」の目から見ると、とてもリカルドを筆頭にした並居る強者を倒せるような
実力があるようにすら見えない。
一同の視線が集まっていることに気付かないのか、気付く余裕もないのか、
ケビンはじっと彼を見つめながら、再び口を開いた。
「実は・・・お願いがあってやって来たんだけど」
「お願い？俺に、か・・・？」
問い返すグローウォームに頷くと、ケビンは「お願い」の形をした爆弾を投
げつけた。
「グローウォームさん・・・何も言わずに次の試合は棄権してもらえないかな？」
「何だって！？」
グローウォームは思わず問い返したが、別に聞き取れなかったわけではない。
その理由は、直後のパティの叫びが代弁していた。
「ちょっとぉ！！何なのよ、そのムチャな頼みはっ！？」
「理由は聞かないでよ。ただ、次の試合を棄権してくれればいいんだからさ」
「軽く言うな。棄権したらこっちが終わりなんだぞ」
グローウォームの言葉にわずかな怒りがこもる。
「大体、理由も聞かずに棄権出来るか」
「そこを何とか・・・ねっ！？」
「ふざけるな！！」
グローウォームが一喝した。突然の大声に、ケビンはビクッと身をすくめる。
だが、そんなケビンに、彼は容赦無く詰問する。
「何のつもりだが知らないが、理由も聞かずに頼まれたから『はい、そうです
か』と言って棄権できるほど、どうでもいい理由で俺は戦っているわけじゃ
ないんだ！この大武闘会の優勝賞金が、賞金の２万Ｇが借金の返済に必要だ
から、こんなところで戦っているんだ！！」
彼は座ったままだったが、それでもその迫力は相当なものだった。
「でも・・・」
「今までの奴は黙って棄権してくれた、か？」
ケビンの言葉を断ち切るようになされたグローウォームの言葉に、彼はコク
ンと頷いた。
「そんな奴らは最初からやる気がなかったか、その程度のどうでもいい理由で
戦っていたんだろうよ」
「・・・・・・」
「それでも棄権しろと言うなら、お前の理由を話せ。その上で判断してやる」
「お願い、聞かないで」
「なら、俺は棄権しない」
哀願するようなケビンの声に、グローウォームは氷壁のごとき冷たさと重厚
さをもって応じた。
「俺にとって、ジョートショップの借金返済は絶対にやらなきゃならない事だ。
引くわけにはいかない」
ここでひと息つくと、彼はいくらか口調を穏やかなものにして続けた。
「仮に、だ・・・俺が借金を返さなきゃならないから棄権してくれと頼んだら、
お前は棄権してくれるのか？」
問われたケビンは黙って首を振った。その態度に、グローウォームは軽く頷
いた。
「そうだろう。お前だって引くわけにはいかない理由がここにいるんだろう」
その言葉に、コクンとケビンは頷く。
「ならば、お互い戦って、相手を退けるしかないだろうよ」
静かに語ると、それ以上、言うことはないと言わんばかりに、彼はソファー
に身を沈めた。その様子は気だるげで、しびれ薬と出血とが相当に彼の身体を
蝕んでいる事が見て取れた。無論、命の危険があるわけではないが、この先、
戦えるかは難しいところである。それでも、その顔にあきらめというものは浮
かんでいなかった。穏やかな、そして固い決意だけがそこにあった。
それを見て、ケビンも腹がすわったらしい。固い表情ではあったが、震える
声ではあったが、それでもはっきりと宣言した。
「分かったよ・・・次の試合は戦う・・・戦って退けるよ」
「そうか、俺が言うのも妙なもんだが頑張れよ」
グローウォームの言葉にコクンと頷くと、ケビンは固い足取りで控え室を後
にした。
その後姿を見送ったクリスがポツリと呟く。
「これで・・・良かったのかな？」
「他に手はないだろうよ。まさか、譲ってやるわけにはいかないんだから」
「それはそうだけど・・・」
クリスの目に、いくらか非難の色が浮かぶ。
「でも、深刻な理由がありそうだったのに・・・」
「俺だって深刻な理由があるんだが、な」
グローウォームは静かに返す。理由が深刻だからといって、他者の理由を無
下に踏み倒す事を正当化できるわけではない。
それはグローウォームも同じだが、少なくとも、彼は自らの「理由」を告げ、
相手に交渉する余地を残した。
だが、ケビンは交渉するどころか、「理由」を告げることさえしなかった。
「理由」を告げること無き「お願い」など、「脅迫」と大差がない。少なくと
も、今のケビンの「お願い」は「脅迫」と同じであった。相手の事を全く考慮
に入れず、ただひたすら「お願い」するのと「脅迫」との間には、さしたる差
はない。それは、要求を飲むか否か、二者択一を迫るという点において、全く
同一のものであるからだ（少なくとも、グローウォームにとってはそうなる）。
もし、ケビンの「理由」が分かれば、彼は代案を出すなりして、双方がそれ
なりに納得できる解決策を実行したであろう。そうはならなかったので、彼は
「戦う」しか選択できなかったのだ。
「グローウォーム選手対ケビン選手の対戦を始めます！両者、フィールドへ！！」
全てを断ち切るように、控え室内にアナウンスの声が響き渡った。
「・・・行くか・・・」
「本当に戦うの？」
「ああ」
未だためらいがあるらしいクリスに、グローウォームは短い返答を返す。
「でも・・・」
「そんなに気になるなら、ケビンが戦う理由を調べてきたらどうだ？」
「・・・うん・・・」
「テディ、クリスについていってくれ」
「ういっス」
重い足取りで控え室を後にするクリスを、その提案がグローウォームなりの
気遣いであることを察知したテディが追う。
「それじゃ、あたしも上で応援するから。がんばんなさいよ！」
クリスとテディを見送ったパティも、彼女らしいハッパをかけて控え室を出
ると、控え室にはグローウォームとエルの２人だけが残された。２人は、しば
し沈黙を保っていたが、おもむろにエルが口を開いた。
「・・・で、本当に戦う気か？」
「さっきも言っただろ？」
「アタシが言いたいのは相手の事じゃなくて、お前の身体の方だ」
エルは真剣なまなざしでグローウォームを見据えると、さらに問い詰めた。
「お前はまだ戦えるのか？」
「そりゃ、戦えるさ」
「それにしちゃ、右腕に力が入らなそうじゃないか」
断言されたグローウォームは、わずかな間だけ沈黙を保ったが、やがて微苦
笑を浮かべた。
「・・・やっぱ、お前は誤魔化せないか・・・」
「やっぱり、危ないんだな？」
「命がどうこうって事はないんだがな、しびれ薬と出血が重なったせいか、力
が入らない。普通に動くならともかく、打ち合いとなると、つらいかもな」
「無理しなくたって、いいだろうに」
「いいや、無理をしてでも勝たなきゃならない。アリサさんの負担は少しでも
軽くしたいんだ」
ある意味、救いがたいほどの頑固さをもって、グローウォームは断言する。
そんな彼を見て、エルはため息をついた。
「お前、バカだな。そうやって無理をしても、やっぱりアリサには負担になる
んじゃないのか？」
「かもな・・・だが、俺にはこれくらいしか出来ないからな」
微かな、そしてやや自嘲気味の笑いを浮かべて応じた。
「俺は俺に出来る事をやるさ。じゃあ、行くぞ」
「無茶するんじゃないぞ、少し多めに働けば、２万Ｇくらいすぐに稼ぎ出せる
んだからな」
エルの忠告に、グローウォームは頷いて見せた。
「分かってるよ。俺には、玉砕の趣味はないからな」
フィールド中央にたたずむグローウォームは、正面にいるケビンをじっと見
つめた。目の前の少年の態度は、どう見ても不安だらけ−勝てるか否か、とい
う以前に、戦いに対する不安−で一杯であった。
（こいつは・・・）
グローウォームの内心にあった疑問が、確信に変わる。だが、情け容赦を与
える気は、彼にはない。大武闘会、戦うための大会に自らの意思で出てきたの
である以上、戦う覚悟をしておくべきなのだ。それが出来ないくらいなら、最
初から出てきてはいけない。それが、この街に流れ着くまで傭兵として生きた
彼にとっての、当然の理屈であった。
観客のざわめきの中、グローウォームはそう思いつつ、左手に武器代わりの
棒を持ったまま、試合開始の合図を待つ・・・。
一方、そんなグローウォームを観客席から見るエルも、周囲の雰囲気に微妙
な違和感を感じていた。
観客がざわめいている。それはいい。だが、ざわめきの種類が、大武闘会と
いう場に合っていない。どちらかと言うと、周囲をはばかるような、声を押さ
えてのひそひそ話がもたらすざわめきであった。
（どういう事なんだ？）
エルは眉をひそめる。こんな場において、周囲をはばかるような話など、存
在するようには思えない。隣に座るシーラもそんな雰囲気を感じ取っているら
しい。しきりに視線をめぐらしている。
「嫌な感じだな・・・」
「え？」
「周りの奴らさ・・・さっきから、ちらちらとこっちを見ている」
そう言われてシーラも、エルが指摘した視線に気がついた。確かに、こちら
をうかがうようにして、見ている人がいる。それも複数。何にせよ、あまり気
分のいいものではない。そんな視線に対し、エルは無表情なひと睨みを返す。
すると、その視線の主は慌てて目をそむける。
（嫌な視線・・・昔を思い出しちまう・・・）
エンフィールドに来るより遥か前、エルフの里にいた時、そして里を追放同
然に出て行った後も、彼女はこの手の視線にさらされてきた。「魔法が使えな
いエルフ」という事で、彼女は悪い意味での興味の対象にされたからだ。もっ
とも、そういう興味をもって視線を投げかけてくる手合いは、彼女の拳闘士と
しての実力を知るにつれ、今のようにひと睨みされると慌てて目をそらす（そ
れがまた、彼女の嫌人的な部分を構成する一部になるのだが）ようになった。
そんな、思い出したくはない記憶を思い出してしまいながら、彼女は憂鬱な
視線をグラウンドに向けた。
そこでは、ちょうど審判が試合開始を宣告するところであった。
「試合開始！」
審判の宣告がなされたが、２人はすぐに攻撃を行おうとはしなかった。その
理由は、グローウォームはケビンの出方を見極めたいから、そして一方のケビ
ンは、未だ戦う事にためらいを覚えているから、であった。
だが、いつまでも動かずにいるわけにはいかない。遠目には分からないほど
だはあったが、グローウォームが少しずつ間合いを詰めにかかった。すり足の、
さして威圧を込めたものではなかったが、ケビンには十分な圧迫になったらし
い。一瞬、身をすくめたかと思うと、半ば破れかぶれに打ちかかってきた。
「うわあああっ！！」
半ば悲鳴のような、叫び声。そこから、恐怖を義務感で無理に勇気へと変換
したのであろう事が窺い知れた。
その真一文字に振り下ろされた木剣の一撃を、グローウォームは余裕をもっ
て受け止め、弾き返した。その衝撃で、ケビンはしりもちをつきそうになった
が、なんとか踏みとどまると、がむしゃらに打ちかかる。
隙だらけながらも速さのある連続攻撃を、グローウォームは全て受け止め、
弾き返した。だが、カウンターをかける余裕はなかった。
（まいったな・・・）
予想以上に体が重い。おかげで、攻撃を防ぎ続けることは出来ても、反撃が
出来なくなってしまった。その上、ケビンの攻撃はなかなかに激しい。体調不
良の彼では、あいしらいかねた。例えるなら、怖いもの知らずの闘犬の、がむ
しゃらな攻撃の前に閉口している闘牛というところだ。
もっとも、負けるとは思っていない。こんな攻撃をいつまでも続けられるわ
けがない。遠からぬ未来に、ケビンは体力を使い果たすはずである。それまで、
守り続ければいい。グローウォームはそう判断した。
（どっちかと言うと、勝った後、まだ戦えるかだよな）
さしあたっての不安材料は、それだけであった。
「何だって！？」
一方、観客席のエル達の不安材料は一気に増大していた。原因はクリスとリ
サ、それにテディがもたらした情報にある。
「それ、間違いないの？」
パティが念を押すが、彼らの情報は変わらない。
「うん、少なくとも、コロシアムの中じゃ、そういう話でもちきりだよ」
「ふーん、孤児院の借金を返すためにねぇ・・・」
エルが呟くが、感心とか感動したようには見えない。どちらかと言うと、冷
ややかですらある。
「それで、棄権してくれって言ってきたわけね・・・」
「でも・・・それがどうして分かったんだ？グロウには何も言ってなかったん
だぞ」
ケビンが理由を誰にも話していないと考えられる以上、その辺の事情がこん
なに広まるわけがない。
「それとも・・・グロウにだけ話さなかったのか？」
多少ながらも険悪なものを込めてエルが問いただすと、肩をすくめつつリサ
が応じた。
「残念ながら、それもはっきりしないんだ」
「はぁ！？」
「ちょっと調べてみたんだが、棄権した連中は何も言っていない。当の本人も
同じ。じゃあ、誰なんだ、となると・・・」
言わなくても分かるだろ？とでも言うように、リサはそこで口を閉ざした。
「怪しいね。大方その話、グロウが事情を知りながら突っぱねた、って風にな
っているんだろ？」
「ご明察」
「ちょ、ちょっと待ってよ！どうしてグロウが知っているって話が出るわけ！？
あたし達が話したわけでもないのに」
エルとリサの会話に、パティが割って入った。
「アタシ達が手伝い始めてからしばらく、変な奴らが絡んでこなかったか？」
「あ、そう言えば・・・」
エルに指摘され、パティは過去を思い出してた。
グローウォームの依頼を受けてジョートショップの仕事を手伝い始めたばか
りの頃、手伝いはじめた全員が、仕事中に嫌がらせを受けたのだ。仕事の妨害
から彼ら個人に対する中傷まで、その種類は多彩であり、手伝い始めたばかり
の約２ヶ月、彼はその対策のために奔走したのだった。
ただ、この手に嫌がらせは「単に性根の腐った連中が尻馬に乗った程度もの」
と思われていた（現時点でも思っていたが）から、気にも留めずにいたが・・
・
「・・・でも、それと何の関係が？」
「同じ奴らが、いい機会だ、って思ってまた悪い噂をばらまいたのかもしれな
いってとこさ」
「でも、リサ。そいつらだって、この事をどうやって知ったって言うのよ？」
「ああいう奴らは、他人をコケにするためなら、どんなバカな事だって思いつ
くんだよ。バカの妄想でも、それらしく言えば信じる奴も出るからな」
雪山さながらの冷たさをもってエルが言い捨てる。
「そ、それじゃ、グロウ君・・・」
「残念だけど、もう手遅れだね。今から反対の噂流したって、疑われるのがオ
チだよ」
青ざめるシーラに、苦い口調でエルは唸った。
「そんな・・・」
絶句するシーラを横目に、エルは未だ戦っているグローウォームに視線を向
けた。
（グロウ・・・）
胸の中をよぎる様々な思いを込めて、心の中でだけ呼びかける。グローウォ
ーム対ケビンの戦いが急変したのは、その直後だった。
グローウォームとケビンの戦いは、グローウォームの優勢になりつつあった。
一時はケビンが猛攻撃を加えていたかに見えたのだが、それが表面だけにすぎ
なかった事が、誰の目にも明らかになっていた。
今やケビンはグローウォームの攻撃を防ぐだけで精一杯。反撃など、思いも
よらぬという有様であった。しかしながら、グローウォームも思いきった攻撃
をする余裕はなかった。今の彼の状態では、ケビンを倒せるほどの一撃を繰り
出すとかなりの隙が生まれる。その隙を、未だ戦意を失っていない、そして死
に物狂いで勝利を求めるケビンが見逃す可能性は高くないだろう。少なくとも、
高く見積もって必死の反撃を受けたいとは、彼は思っていない。だから、彼は
ケビンの体力を確実に消耗させるべく、小刻みな攻撃を絶え間無く加えた。
（そろそろいいか・・・）
容赦ない連続攻撃でケビンの体力が限界に近づいた、と判断したグローウォ
ームは決着をつけるべく、一歩下がって、力を込めた重い一撃を繰り出そうと
したが・・・
（グロウ・・・）
不意に聞こえた、するはずのないエルの声に、そしてその声に含まれた何か
に、彼は動きを止めた。それは、当然ながら隙になる。そして、グローウォー
ムの予想通り、ケビンはその隙を見逃さなかった。
「やああああっ！！」
残っている体力の全てを振り絞り、起死回生の望みを託して突きかかる。
（ちっ・・・）
一瞬とはいえ動きの止まった自分に舌打ちすると、グローウォームはその突
きを防ぐべく、行動を起こした。考えるよりも早く、肉体が動く。弾き返す余
裕はない。受け流すにしても、武器だけでは不完全になる。少しだけ相手の突
きを跳ね上げて、後は右肩の肩あてで・・・
（しまっ・・・！！）
グローウォームが自分の判断ミスを悟ったのはその直後、ケビンの突きを、
肩あてのない、負傷した右肩に食らった時である。右肩に激痛が走る。続いて、
突きの勢いに押されて一歩だけよろめいた。
一方のケビンは勢い余って数歩、たららを踏んだ。転びそうになったが何と
か踏みとどまり、震える足を無理矢理動かし、グローウォームに相対する。も
う、動けるかさえ分からなかったが、それでも、彼は負けるわけにはいかない
のだ。固い決意と共に振り返った彼の視界に映ったのは、右肩を真っ赤に染め
たグローウォームの姿だった。
「！？」
ケビンは硬直した。彼は初めて見たのだ。負傷し、大量に（と彼には思えた）
出血する人を。しかも、その原因は自分の攻撃によるもの。その事実に、彼は
恐怖を覚えた。そして同時に理解もした。戦うという事の意味を。
（右腕の感覚がないな・・・）
ケビンが棒立ちになっているのを視界の片隅で確認しながら、グローウォー
ムは自分の身体の状態を判断していた。今や右腕は力無くぶら下がっているだ
けであった。出血と痛覚、それにしびれ薬、この３者の影響だろう。右腕に少
しでも力を入れようとすると、痛みが走る。
（戦えるかな・・・？）
グローウォームは自分に問いかける。別にケビンと、ではない。ケビン相手
なら確実に勝てる。たとえ素手になったとしても、彼には勝つ自信があった。
問題は勝った後、すぐにでも行われるであろう次の試合を戦えるか、なのだ。
（ちょっと無理があるな）
しびれ薬のせいで重い身体で、しかも右腕が使えない状態で、ここまで勝ち
残ってきた相手に勝てると思うほど、彼は自惚れていない。つまり、ケビン相
手に勝とうが負けようが棄権するしかない
そして、彼にとっては賞金が出る優勝以外は何の意味も持たない。で、ある
ならば、ここで棄権したところで大した違いはないだろう。
そう決断すると、心配もあらわに話しかけてきた審判に宣告した。
「き、君・・・」
「審判、悪いが傷口が開いた。早めに治療を受けたいんで、棄権しても構わな
いか？」
「あ？ああ、はい、分かりました・・・」
「それじゃ、よろしく」
豆鉄砲でも食らったような表情で、審判は重い足を引きずるようにして引き
上げるグローウォームを見送ったが、すぐに自分の責務を思い出したらしい。
手を上げて、宣告する。
「グ、グローウォーム選手、負傷のため棄権しました。よって、ケビン選手の
勝利となります」
観客席からどよめきが起こった。歓声でも罵声でもなく、彼らはただ、どよ
めき続けていた・・・