え？俺がエンフィールドに来たワケ？そんなもの、今更聞いてどうしようってい
うんだ？ふーん、この間のえん罪事件の報告書を作るためにねぇ・・・ご苦労なこ
った。
悪いけど、ほとんど協力できないよ。来た経緯についてはね。それはアリサさん
に聞いた方が早いと思うけどな。
グローウォーム・グレイフォードの証言。
事情聴取に訪れた、ヴァネッサ・ウォーレンに向かって。
「ふぅ・・・」
下ばえの草を力無く、無造作に踏み分けた男は大きく息をついて、近くの木によ
りかかった。一体どういう事をしてきたのか、その男が身につけている軽甲冑は右
の肩当てが砕け散り、左の手甲も大きく切り裂かれている。その他、小さい傷跡は
数える気にもならないほどの多数におよんでいる。その持ち主も、軽甲冑同様、無
数の傷を負っていた。もっとも、本人の傷はあまり目立つ所はない。右肩の刀傷が
目立つだけだ。もっとも、負傷してからかなりの時間が経過したらしく、肩から流
れ出た血は既に茶色に変色し、服を強張らせていた。
だが、この男にとっての問題はこの傷以上に、空腹の方であった。この森に逃げ
込んでから３日、まともに食事を取ったことがない。それだけ、追っ手の数は多く、
しかも執拗であった。
（とにかく、どこか落ち着ける場所を・・・）
その一心で、左手の矛を杖代わりにして男は再び歩き出した。数歩、比較的明る
い方に向けて歩くと、いきなり地面が消失した。いや、正確には虚空に一歩踏み出
していたのだ。
（あ・・・崖・・・）
そう思った時にはもう手遅れであった。感覚皆無の右腕と、矛を手にしたままの
左腕では、何かつかむこともままならない。もっとも、例えつかまったとしても、
今の男の体力ではぶら下がることすら出来なかったであろうが。
・・・そして、男は落ちた。落ちて、地面に叩きつけられた。
「っつ・・・」
その場に座り込むような姿勢で叩きつけられた男は、かすかにうめいた。
（いよいよ、ダメだな・・・こりゃ・・・）
叩きつけられた時に、感じるべき痛覚が全くなかった。つまり、それくらい男は
衰弱していたのだ。男は、このままでは自分の命も長くはないことを悟りざるおえ
なかった。
（グローウォーム・グレイフォード、人知れず森の奥深くで死す、か・・・ま、そ
れもいいだろう。少なくとも、他人に迷惑をかける心配だけはないものな）
男−グローウォームは妙に冷淡な態度で己の死を受け入れようとしていた。それ
までのわずかな時間、彼はとりとめもない事を呟いた。
「全く、お前さんのおかげでえらい迷惑だ」
グローウォームは、左手の矛に向かって語りかけた。その矛は、意志を持ってい
るかのように、震えた。それは心外だとばかりに。
「抗議しても無駄だぞ。お前が俺の所に来なけりゃ、こんな所でのたれ死ぬ事だっ
てなかったんだからな」
グローウォームは、追い打ちをかけた。だが、それ以上は体力が保たなかった。
倒れるように岩壁にもたれかかると、静かに目を閉じた。
（悪くない、な・・・ここは・・・）
確かに、この場所はひなたぼっこにはうってつけの場所と言っていい。少なくと
も、死ぬにはあまりにものどかすぎると言えるだろう。
（少なくとも・・・静かに死ねる・・・）
途切れ途切れにそこまで考えて、グローウォームの意識は暗転した。
グロウクンを見つけたあの日に、何で誕生の森に行こうと思ったのか、と聞かれ
ましても・・・本当に、何となくそこに行ってみようと思っただけですから・・・
グロウクンが来るなんて、あの時は思ってもいませんでしたよ。
アリサ・アスティアの証言
ジョートショップ（何でも屋）の女主人、アリサ・アスティアからエンフィール
ドの北に位置する誕生の森へ行くと聞かされた時、ペットのテディは驚き、そして
猛反対した。
それも当然の話である。アリサは生まれついての目の病のせいで、うすらぼんや
りとした視界しか持っていない。町中なら、テディのナビゲートで行動に不自由を
感じることはないが、外に出るとなれば話は別である。不規則な凹凸のある地形は
アリサの足元を危うくする。そういった地形的要素を排除しても、誕生の森には少
数ながらモンスターが生息しているのだ。目の見えないアリサと非力な魔法生物に
すぎないテディが、そんなものに遭遇したらひとたまりもない。テディの反対は、
むしろ当然のものと言ってよかった。
だが、この時、アリサは不思議なほど強く自分の意志を押し通した。まるで、行
かねばならない事があるかのように・・・
「ご主人様、気を付けて下さい。そこに木の根っこが出てるっスよ」
「ありがとう、テディ」
そう答えるアリサの足元は意外なほどしっかりしている。とても、目が不自由な
せいで家に引きこもりがちな女性とは思えないほど滑らかでしっかりした足取りで
ある。
一方テディはアリサの数歩先を行き、アリサの歩行の障害になりそうなものの存
在を告げている。この犬のような魔法生物は、実にまめに障害物の存在を報告し、
アリサの目としての役割を完璧に果たしていた。
と、不意に、テディは足を止め、振り返って問いかけた。
「ご主人様、このまま真っ直ぐに行くっスか？」
「ええ、そうして、テディ。何か見えたら教えてちょうだい」
「まかせてください。じゃあ、ボク、ちょっと先に行って様子を見てくるっス」
言うがはやいか、テディはテテテッと走っていく。その後ろ姿を、アリサは微笑
みと共に見送る。その姿を他の誰かが見ていたら、彼女がそのままその景色の中に
溶け込んでしまいそうな感じを受けたに違いない。
テディの姿が、常人の目でも見分けられないほど小さくなった頃、不意にその大
声が響きわたった。
「ああーーっ！大変ッスーーーーっっっ！！」
何事かと思ったアリサが問うより早く、テディが息せき切って駆け込んできた。
「どうしたの、テディ？」
「た、大変っスよー、ご主人様！向こうの崖の所で、人が倒れているっス！」
「大変・・・テディ、すぐ案内して」
「ウイッス」
テディは元気よく答えると、アリサの視界から消えないようにしつつ、かつ、可
能な限り早くその場所に向かった。
「まぁ・・・」
アリサは、テディの言った行き倒れの男を見て、それだけしか言うことが出来な
かった。それくらい、男の様子はひどかった。右の肩当ては派手に砕け散り、恐ら
くはその時の衝撃で右の肩も切られていた。無論、傷はそれだけではなかった。額
も切れたらしく、顔の半面を血糊が覆っていた。それ以外にも小さい切り傷が無数
に存在している。
「ご主人様、どうするッスか？」
「そうね、テディ。さくら亭に行って人を呼んで来てくれるかしら。きっとリサさ
んがいると思うから・・・」
「ウイッス」
テディはアリサの指示を受けたとたん、全速力でエンフィールドに走って行った。
その後ろ姿を見送ると、アリサは男の額に細く美しい指をのばした。額に落ちかか
っている髪をかき分け、手の平を当てる。そっと目を閉じると、呟きがアリサの口
からもれる。
「まだ・・・だめよ・・・まだ、死んではいけないわ」
男に語りかける様に、アリサは続けた。
「ええ・・・分かるわ、その気持ちは・・・１人で残されるのは、本当につらいも
の・・・でも・・・約束するから。あなたを１人にする事は決してしないから・
・・だから死なないで・・・」
その呟きに応じるように、男の顔に、わずかだが血の気が戻った。
「ありがとう・・・」
アリサは今まで以上に小さい声で言うと、男の額から指を離した。
小さく息をつくと、離した手を何かをすくい上げるように合わせて何かを呟く。
すると、青い光が合わせた手の中に生まれた。やがてそれは、手のひらほどの人型
に変化した。それに続いて、茶、緑、そしてほとんど透明と言った方がいい白の光
が生まれた。それらはアリサの手から離れると、彼女の周りをフワフワと遊弋する。
「ネプチュリア、セレンティーク、ドライアト、シルフィ」
アリサの呼びかけに、４つの光−水、地、木、風の精霊−は順に震えて応じた。
「お願い、この人の傷を癒して」
その言葉を受けると、４つの精霊は次々に男の体にとけ込んだ。
精霊の光が男の体に完全に吸い込まれた直後、テディと、テディに案内されたリ
サ達の声がその場に響いた。
初めてグロウさんに会った時の印象ですか？うーん、何て言ったらいいんでしょ
う？何か・・・あ、そうだ、狼みたいな印象を受けました。目の前にいるもの全て
を何のためらいもなくかみ殺せるような、そんな感じです。・・・でも、本当は違
うんです。グロウさんって、牧羊犬みたいに必要な時以外は戦うどころか怒ったり
もしない、本当にやさしい人なんです。
シェリル・クリスティアの証言
その日の放課後、シェリルはジョートショップにいた。昨日、助けた若者の容態
が気になっていたからだ。
「ずっとこの調子で寝てるの？」
一緒にジョートショップを訪れたトリーシャは、朝からジョートショップで手伝
いをしていたメロディに問いかけた。
「そうです〜、あさからずっとこうですぅ。メロディ、しんぱいです〜」
感情が猫そっくり（というかそのもの）の耳に出るメロディは、その不安を声や
表情だけでなく、耳を寝かせることで表現していた。
「朝からって・・・昨日、トーヤ先生が栄養剤を注射してくれたとしても、危ない
んじゃあ？」
「脈・・・あるよね？」
シェリルとトリーシャにも、メロディの不安が伝染した。そう言って、シェリル
は男の首筋に手を伸ばし、トリーシャは鼻のあたりに手をかざした。その時、男が
ピクリと動いた。
「あっ」
「う・・・うん・・・」
３人が見守る中で、男の目がうっすらと開かれる。
「おはよーございまーす」
「・・・こ・・・こは・・・」
「ここは、ジョートショップってお店の中だよ」
弱々しい男の問いに、トリーシャが答える。その答えに小さくうなづくと、男は
何かを探し求めるように腕を伸ばしてあたりを探り始めた。
「俺の・・・荷物と・・・矛は・・・？」
「え、た、多分、アリサおばさんがひとまとめにして、どこかに保管してあると思
いますけど・・・」
「取りに・・・いかないと・・・」
そう言うと、男は起きあがろうとした。それを見たシェリルは思わず大声を上げ
た。
「だ、駄目です！そんな大怪我しているのに、起きあがるなんて！」
その声を受けた男は、シェリルの方を正面から見つめた。その瞳を見て、シェリ
ルははっきりと背筋が寒くなるのを感じた。その瞳は、およそ人が持つべき様々な
感情や知性、そう言ったもろもろの色合いが全く感じられなかった。なのに、放た
れる光はしっかりとした意志と鋭さを兼ね備えている。シェリルが恐怖を感じたの
も無理はない。それは、人というより狼、それも獲物を狩ろうとするときの瞳であ
ったのだから。
と、その時。
「ねぇ、あの人起きた？お粥が出来たんだけど」
トレイにお粥やらスプーンやらを乗せて持ってきたパティが顔を見せた。３人の
気が一瞬だが彼女の方にそれる。誰かが何か行動を起こすより早く、何かがベッド
に倒れ込む鈍い音がした。
「ちょ、ちょっと、何しているのよ！そんな怪我してるのに！」
パティが思わず驚きの声を上げる。３人がパティの視線を追うと、そこには起き
上がろうとして、体中に走った痛みに体をくの字に折った男の姿があった。
「まだおきちゃだめなのぉ」
「そんな怪我してるのに、無茶だよ！」
「おとなしく寝てなさいよ！！」
メロディが泣きそうな声で訴え、トリーシャが悲鳴を上げ、パティは叱りつけた。
が、男は一切取り合わず、なおも起き上がろうとする。
「早く・・・行かないと・・・」
「行くって・・・そんな怪我しているのに、無茶です！！第一、どこへ行くと言う
んですか！？」
シェリルも悲鳴のような叫びを上げる。そんな騒ぎを聞きつけて、アリサが上が
って来た。
「一体・・・何の騒ぎかしら？」
「あ、アリサおばさん！あの人がどこかへ行こうとしてるんです！」
「まぁ・・・」
常日頃はおっとりとした女性だが、さすがに驚いたらしく目をみはって男を見つ
めた。だが男は、そんな視線に気づきもしないでベッドに手をついて起き上がろう
としている。アリサはゆっくりと近づくと、男の手に自分の手を重ねた。突然ふれ
られた野生動物のように、彼は体をこわばらせた。
「駄目よ、まだ起きては・・・」
「早く行かなきゃ・・・危ないから・・・」
その言葉に、シェリル達４人は顔を見合わせた。「危ない」とはどういう意味な
のか、分かりかねたのだ。ここエンフィールドは外敵の襲撃など全くと言っていい
ほどなく、モンスターの来襲すら年に数えるほどしかないような街である。街の治
安も良好で「危ない」ということはないのだが・・・。
一体どういう意味か、シェリルが問おうとするより早く、アリサが強い調子で言
った。
「駄目です。今、あなたがどこかへ行く方がよっぽど危ないわ」
「でも・・・」
男は何か言い返そうとして、顔を上げた。アリサと目が合う。シェリルの時と同
じ、狼のような目。だが、アリサは全く動じないで男を見つめ返した。しばし２人
は黙って見つめ合っていたが、やがてアリサの暖かい視線に、男の方が耐えられな
くなったらしい。ゆっくりと顔をうつむかせた。
「その怪我が治るまででいいから」
口調を、優しく暖かなものに改めて、そっと言葉をかける。男は、小さい、呟く
ような声で答えた。
「治るまで、ですよ・・・」
「ええ」
「治ったら、俺は、行きますよ・・・」
「ええ」
アリサは、静かにうなづく。それを見て、男は警戒を解くことにしたらしい。力
を抜くと、無造作にベッドに倒れ込んだ。そんな男に毛布をかけると、アリサは優
しい声で問いかけた。
「私はアリサ・アスティア。このジョートショップの主人です。貴方の名前は？」
「名前・・・？」
「ええ」
男は、アリサをしばし見つめたかと思うと、不意に天井に視線を走らせ、呟いた。
「グローウォーム・・・グローウォーム・グレイフォード・・・」
「ぐろーおーむ？」
かなり間延びした、舌っ足らずな声。思わず力の抜ける思いを抱きつつ、彼はそ
の声の主−メロディ−を見た。そのメロディは、というと、なかなか上手く言えな
いらしく、何度も「ぐろーおーむ」と呟いていた。そんな彼女を見かねてか、トリ
ーシャが助け船を出しにかかった。
「『ぐろーおーむ』、じゃなくて『グローウォーム』だってば、メロディ」
「ふみゅ〜、いいずらいですぅ」
「う〜ん・・・あ、それじゃ、『お』ってところを『うお』って言ってみなよ」
「ハーフキャット・・・？」
「えっ？」
メロディとトリーシャを見ていたグローウォームの口から漏れた、聞き慣れない
単語に、シェリルは彼を見つめた。
「あの・・・ハーフキャットって・・・メロディちゃんの事でしょうか？」
「ああ、あの猫耳の娘の事・・・メロディって言うのか・・・」
「あの・・・まだ聞いていませんでしたか？名前・・・」
「名乗ってもらった覚えはないけど。アリサさん以外」
あっさりと言い返されて、シェリルは思わず小さくなった。
「ご、ごめんなさい。私、シェリル・・・シェリル・クリスティアといいます」
「よろしく、シェリル」
微かな、微かすぎる笑みを浮かべて応じるグローウォームに、シェリルはもう一
度、同じ質問をした。
「あの、それで、さっき言っていたハーフキャットの事なんですが・・・」
「ん？ああ、ハーフキャットっていうのは、北方にいる猫と人の特長が混在した種
族なんだけど・・・」
「けど・・・なんですか？」
「なんか違うような・・・どこがどう違うかがはよく分からないんだが・・・」
「なにがちがうんですかぁ？」
今までトリーシャと発音練習していたはずのメロディが、２人の側によって来て
いた。
「あ、メロディちゃん。グローウォームさんが、メロディちゃんの事、ハーフキャ
ットじゃないかって・・・」
「ふみゃ？めろでぃはめろでぃで、『はーふきゃっと』じゃないですよ」
その一言に、グローウォームはベッドに沈み込みそうな疲労感を感じてため息を
つき、シェリルは何とも言い難い表情で苦笑するだけであった。
１人、メロディだけが、そんな２人の反応の意味を分かりかねて、無邪気な表情
で首をかしげていた。
「どーかしましたかぁ？」
「いや、別に・・・」
何とも言い難い表情で、短く答えるグローウォーム。それきり、何とも気まずい
沈黙が辺りを覆った。
そんな状況を打ち破ろうとするかのように、トリーシャが明るく問いかけた。
「ね、グローウォームさん！グローウォームさんって、愛称とかなかったの？」
「愛称？」
「そう！」
「愛称ねぇ・・・」
グローウォームは天井の一点を見つめながら自分の記憶を掘り返していた。すぐ
に、一つの呼び名が思い起こされる。だが、それは決して単純な懐かしさにはつな
がらなかった。むしろ、鋭い痛みを伴って、彼の口を動かした。
「グロウ・・・」
「えっ、何？」
あまりに小さい彼の呟きに、トリーシャは思わず聞き返した。その一言で、グロ
ーウォームは自分がその愛称を口走っていた事に気付いた。自分自身の事を多くは
知られたくない一心で、グローウォームは下手なごまかしを打つ。
「いや、何でもない」
だが、この下手なごまかしは、実に無邪気に、かつ、あっけなく打ち破られた。
「うにゃ？グロウちゃんですか？こっちのほうがよびやすいですぅ」
メロディはうれしそうに「グロウちゃん、グロウちゃん」と繰り返す。それを疲
れた表情で見るグローウォームに、トリーシャが訊ねた。
「なぁーんだ、さっきのはこの事だったんだ。でも何で『何でもない』なんて言っ
たの？」
「大した理由はないんだけどね・・・」
微かな笑みを口の端にたたえるグローウォーム。だが、その笑みには強烈な苦さ
が込められていた。しかし、笑みそのものが本当に微かなものだったので、トリー
シャ達はその苦さに気付かなかった。それどころか、パティなどは非難するかのよ
うに大声を上げた。
「じゃ、何で隠したりするのよ！？」
「子供の時の話だぞ。今頃そんな頃の名前で呼ばれてもなぁ・・・」
「ダメなのぉ？」
メロディが泣きそうな声で聞いてくる。その声に、グローウォームは困惑気味の
表情を浮かべた。より正確に言うのであれば、呼ばれたくないのではない。その名
前で呼ばれると、自分を大切に思い、そして、自分をかばって死んでしまった人を
思いだしてしまう。それがつらいから呼んで欲しくないのだ。
そのことを話すべきか、グローウォームは迷った。どの道、長くはこの街にとど
まるつもりはない。であるなら、愛称で呼ばれるくらいは受け入れる方が、自分の
事をあれこれ話すよりいくらかマシかもしれない。そんな事をしばし考え、そして
結論を出した。
「まぁ、いいか、別に・・・」
「いいの！？」
「ああ・・・」
念を押すトリーシャにうなづいて見せる。途端に、泣きそうにしていたメロディ
が、一転して嬉しそうに大声を出した。
「ふみゃ〜！グロウちゃんよろしくね〜！！メロディは、メロディ・シンクレアと
いいます〜」
「メロディ、けが人の枕元で大声出したらダメだって」
はしゃぐメロディをパティがなだめる。そんな会話を聞きつつ、シェリルが彼に
問いかけた。
「あの、いいんですか？」
「何が？」
「その、愛称のことです。『グロウ』って呼ばれたくないのでは・・・？」
「まぁ、いいさ。そう呼ぶことで納得してくれるならね」
自分がどう呼ばれるか全く頓着していない事を示すその発言に、シェリルはむし
ろとまどいを覚えた。そのことについて、何か聞こうと口を開くより早く、アリサ
が話しかけた。
「グロウクン、よかったら、このお粥を食べない？パティちゃんが作ってくれたの
だけど・・・」
「いただきます。喜んで・・・」
アリサの言葉に、暖かく居心地の良い何かを感じつつ、グローウォームはそう答
えた。その一方で、この男はこうも思っていた。
（早いとこ、この街を出よう）
別に居心地が悪いからではない。その逆だからだ。単に、流浪の旅をしてきてこ
の街に流れ着いたのなら、居心地の良いこの街に留まっても良いだろう。だが、今
のグローウォームにそれは出来ない。そんな事をすれば、必ず彼に重傷を負わせた
追っ手が、この街に迫る。その時、その追っ手がこの場にいる人たちを抹殺しにか
かるであろう事を、彼は良く知っていた。
（この人を巻き込みたくはないな・・・）
グローウォームは、アリサのことをぼんやりと眺めながら、そう思っていた。そ
のためにも、早くこの街を出るつもりでいた。
一ヶ月後、結局彼はこの街に居着くことになるのだが、この時点では、当の本人
すらその事を知らない・・・
後書き
松です。はぁ、ようやく仕上がった・・・って、まだほんのさわりだけですけど
ね。私が書くＳＳとしては初めて続き物になってしまいました（単に時間がなくて、
これだけでも出そうと考えただけですが）。とりあえず、この序章の他は前編、中
編、後編の３編で終わるはずです。出来るだけ早く仕上げるつもりですので、お付
き合いいただければ幸いです。
さて、当のＳＳの内容ですが、お読みいただければ分かる通り「グローウォーム
がどうしてエンフィールドに居着いたか」を書いています。そんなわけで、メイン
となったのはアリサさんとのカラミです。基本的にはこれと、グローウォームが持
つ過去がからむバトルシーンがメインです。
前編の舞台は決まっています。さくら亭です。そして、シーラ嬢の出番がある、
はず・・・山場は決まっているんですけどね（苦笑）。
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松