まったく、ひどい夜だったよ。ちょっと眠れないから散歩していたら、いき
なり襲われたからね。あげくに、ピートは姿を見せるし・・・あんなに苦戦し
たのは久しぶりだったよ。
リサ・メッカーノの証言
グローウォームはエンフィールドの北に位置する誕生の森へ急いでいた。ジ
ョートショップにおける戦闘の開始前に、召喚したシルフィード（風の精霊）
に、刺客達のベースキャンプを探させた結果、彼らが誕生の森に潜んでいる事
が判明したからだ。
まだ居残っているであろう彼らを倒しに行く。傷付いた左手を精霊魔法で治
療してくれたアリサにそう告げた時、彼女は多くを尋ねはしなかった。ただ一
言、「いってらっしゃい」と言っただけ。だが、彼はその一言にも、何の反応
も返さなかった。どんな反応を見せたものか、分からなかったからだ。唯一の
例外として見せた微かな頷き１つを残して、彼は誕生の森へと走った。
わずか半月の間で、完全に記憶したエンフィールドの路地を駆けぬけつつ、
思う。
（月が赤いな・・・）
中天にさしかかった満月は、赤く染まっていた。まるで、これから流される
血のように・・・。
同じ赤い月の下で、グローウォームの事を話す一群があった。彼をジョート
ショップで襲った刺客同様の風体の男達であった。彼らは今、信じがたい報告
を受けていた。
「全滅だと？」
「はい、１人残らず・・・」
「それで標的は無傷だというのか！？なんたるざまだ！！」
「それが・・・」
見届け役−状況を観察し、たとえ味方が全滅一歩手前の惨状にあろうとも一
切手を出さず、無傷で後方の味方に戦闘結果を報告する役目の者−がアリサの
事を付け加えた。
「・・・精霊使いが標的の味方についただと・・・」
見届け役は何も言わずにいる。彼の役目は目撃した事を報告する事であり、
目撃した事に対する解釈ではない。解釈は、別の者の役目である。そして、そ
の役目を負う者が口を開いた。
「いずれにせよ、早急に消す必要がありますな」
「その通りだ」
うなり声を上げて刺客の１人を呼び寄せる。
「５人与える。街に火を放ち、その混乱に乗じて標的と接触したものを消せ。
目に付いた者も構わず消せ」
「承知」
無差別殺戮命令。だが、出す方も受ける方も、平然たるものであった。当然
だろう、彼らはそういう存在なのだから。
だが、その命令は実行される事はなかった。
パキッ
枯れ枝の折れる乾いた音。音のした方には、東方の出身者らしい袖の短い和
服を着た男がいた。
一瞬の沈黙。その直後の決断と実行、先にそれらを実行したのは刺客達だっ
た。その場にいた１５人ほどの内、先に別働を命じられた５人が動いた。静か
ら動、その急激な変化に、５人の姿がかき消える。まばたきする間ほどの短い
時間に、５人の内の３人が男に切りつけていた。肩口から切り下ろされ、脇腹
に短刀を突き込まれ、背中を一文字に切り裂かれた。どれか１つでも致命傷に
なる斬撃を、男は３つも受けていた。朽ち木のごとく倒れるであろう事が予想
されたが、事実はそんな順当な予想を裏切った。
「何の真似だ？・・・」
男は不快げに刺客達をにらむと、そう言った。その問いに、刺客達はぞっと
なった。致命傷を３個所に受けたにもかかわらず、倒れるどころか小揺るぎも
せずに問い返してくる相手など、いるはずがない。いるはずがない者の存在を
前にして恐怖一歩手前の感情にかられた刺客の１人が、あえぐように問いただ
した。
「貴様は・・・一体・・・何者だ？」
「我が名は、紅月・・・邪魔立てするならば・・・斬る」
相手の無礼な質問に、彼は静かな宣告と共に答えた。その回答に、刺客達の
指揮者は叫び声を上げた。
「殺せ！！」
再び動き始める刺客達。だが、今度は紅月も身構えている。先ほどのように、
容易には行かなかった。
「ふん！」
低く、短い気合と共に刀を振り上げ、上から降りかかって来る刺客の剣を無
造作に叩き折る。続いて手首を返し振り下ろし、今度は刺客の身体をたたき斬
る。すでに死体となった刺客の体が地面に叩き付けられると、今度は３人同時
に現れた。右に２人、左に１人。
これに対し、紅月は左の１人に向かった。２人を同時に相手どるよりは、は
るかに楽だからだ。間合いを詰めるべく、大きく一歩踏み出す。すると、左か
ら迫る刺客は足を止め−後ろへ下がった。紅月はさらに踏み出すと、同じ歩数
だけ刺客も下がる。３歩進んだ段階で、紅月はこの刺客を斬るのをあきらめ、
右の２人に向かう事にした。これ以上、この刺客を追えば、右の刺客達に背中
をさらすことになる。それは、紅月にとって、好ましい事態ではないのだ。
その判断は適切だった。右の刺客達に向き直った時、刺客達は彼の間合いに
入ってきていた。
まず、最初の斬撃を刀で弾き返す。続くもう１人の斬撃は体勢が整わないの
で、右手を刀から放し、その手甲で防ぐ。おかげで、この立て続けの攻撃は防
げたが、紅月の胴はガラ空きになってしまった。そこへ、彼の左にいた刺客が、
今までとはうって変わって肉薄し、渾身の力をもって彼の心臓に短剣を突き立
てた。その衝撃に、一歩よろめく紅月。その姿に自己の成功を確信しながらも、
刺客はさらに突き立てた短剣をねじった。常人であれば心臓を破壊され、必ず
死ぬはずの一撃である。
（仕留めた）
その場にいた刺客全員がそう思っていると、信じがたい事が起こった。紅月
が自分の心臓に短剣を突き立てる刺客を睨み付け、左手の刀を逆手に持ち替え
たのだ。そして、その刀を刺客の左の肩口目掛けて振り下ろした。
「！！」
刀は正確に突き刺さり、その刃は心臓を２つに断ち、肺を切り裂いた。紅月
が無造作に刀を引き抜くと、刺客は肩口の傷と口から血を吹き出しながら、崩
れ落ちる。その時、その血は紅月にかかったはずなのだが、彼の服には返り血
がつかなかった。それどころか、自分の傷から血が出た形跡すらない。
「亡霊か・・・」
ただ１人、刺客達の中でゆったりとした服を着る男が呟いた。おそらくは魔
術師なのであろう。
「何だと？」
「この世に在りながら、この世のものにあらず・・・そういうものだ・・・」
「消せないのか？」
「やってはみるが・・・」
保証はしない、そういう口振りの魔術師に指揮者はやれという代わりに頷い
た。
だが、彼らが何かする必要はなかった。
「今夜も・・・会えなかったか・・・」
紅月は悲しみをたたえて夜空を仰ぎ見た。雲が赤い月を覆い隠そうとしてい
る。それに合わせるかのように彼の姿は透けていき・・・消えた。あとには２
人の死体と、強い血の匂いだけが残された。
「・・・・・・」
想像だにしないものにさんざん引っかき回された刺客達は、呆然となった。
今までも「予期せぬ障害」に出くわした事はある。だが、ここまで一方的に混
乱させられた例は、未だかつてなかった。
「一体・・・何なのだ。この街は？」
指揮者は、うなり声を上げた。標的を襲えば精霊使いに邪魔され、街そのも
のを破壊しようとすれば亡霊が妨害してきた。まるで街そのものが、自分達の
行動を阻害しているかのように思えた。
そのことを証明するかのように、新たな殺気が彼らに感じられた。別に気配
を殺そうとしている訳でもなかったので、容易に察する事が出来たのだ。
「あんた達、何かあっ・・・」
そこに姿を現したのは、銀髪の女戦士、リサだった。彼女は、血の匂いと転
がっている死体を見ただけで、何があったかを察した。
「・・・一体、誰にやられた？」
表情が険しい。だが、刺客達は答えない。黙ってリサを見つめるだけだ。そ
の雰囲気の異常さにリサの表情が、今までとは異なる種類の険しさを持ち始め
た。
「あんた達、一体・・・？」
「やれ」
短い命令と共に、刺客達は動いた。先の紅月同様に、抹殺するために。
「なっ・・・！？」
突然の出来事に、慌てて後ろへ跳んだ。続く一挙動で腰のナイフを引き抜き、
刺客の剣を受け流す。さらに横へ跳んで続けてなされた攻撃をかわした。紅月
と異なり、完全な戦闘態勢にあった事が彼女を救ったのだ。
「何の真似だい！？」
彼女は問いかけてみたものの、返答があるとは思っていない。どちらかと言
えば、口に出す事で自分の落ち着きを取り戻すための問いかけだった。
案の定、刺客達は無言で攻撃を続けてくる。刺客１人１人の技量と、リサの
技量はほぼ同程度、いや、刺客達の方がやや上だろう。さらに数で勝る以上、
刺客達の方が有利である。ただ、リサほどの技量の持ち主が守りに徹すると、
そう簡単には倒せないのだ。そのため、刺客達は数の有利を利用して入れかわ
り立ちかわりに一撃離脱を繰り返す事で体力の消耗を狙っていた。
そんな事態に、刺客の１人が焦れて連続攻撃を仕掛けてきた。
（こんな女１人、さっさと片づければいいじゃないか！）
それは、先だってグローウォームを尾行していた際、イヴに注意された男だ
った。指揮者に「無能者」呼ばわりされるだけあって、彼我の技量差を考えに
入れていない愚かな判断だった。
彼らの技量がリサのそれを上回っているとは言え、それは決定的な差ではな
い。ほんのちょっとしたミスを刺客側がすれば、あっけなく返り討ちの憂き目
を見る羽目になるであろう。
その事を、彼は自分の死をもって思い知らされる事になった。体力の問題か
ら連続攻撃が止まったその一瞬の隙を突いて、リサのナイフが彼の胸をえぐっ
たのだ。無論、この攻撃も隙を呼ぶが、リサはそれを承知していた。左から突
っ込んでくる刺客の攻撃を、彼女は先ほどの刺客の身体を盾にする事で防いだ。
身体に食い込んだ剣はなかなか抜けない。刺客は剣を捨てて間合いを取ったが、
そのわずかなタイムロスを利用して、リサはナイフを刺客の身体から抜き取っ
ていた。
「無能者が・・・」
「しょせんは捨て石です。気にすることはありますまい」
「捨て石にもならん。質が悪すぎる」
指揮者はうなるように言った。倒された刺客に対する、憎悪さえ感じさせる
口調だ。だが、いつまでも憎悪に身を任せてもいられない。気を取り直して攻
撃を続けようとしたが・・・
「あれ〜？何してんの、リサ？」
何の気配も感じさせずに赤毛の少年が姿を現した。寝ぼけているのか、声が
間延びしている。
「ピート！？何でここに！？」
「ふえ〜、何かしんないけど、気付いたら森ん中にいてさ〜。物音がするから
こっち来たんだけど・・・」
リサの声に含まれている緊張の色には気付いていないらしい。いたって呑気
な口調だ。その呑気さに、彼女は内心で舌打ちしつつも叫ぶ。
「ピート！とにかくここから逃げろ！！」
「その子供も殺せ」
指揮者の命令が、静かになされる。刺客達の動きが変わった。３人がピート
に向かって突進する。残りは、リサを足止めに徹した攻撃を仕掛ける。彼らの
意図は明瞭だ。まず、簡単に片付けられそうなピートから殺そうというのだ。
「ピートッ！！」
意図が分かっても手出しできないもどかしさに、リサが絶叫する。無言で迫
り、剣を振りかざす刺客達。
「わあぁっ！！」
本能的な危険を感じて、ピートは後ろへ跳んだ。無論それだけでは攻撃をか
わす事など出来ない。続く二撃目を身をかがめてかわし、三撃目は当の相手の
足元にスライディング・タックルを加える事でかわした。
リサや刺客達が思っている以上に、ピートの反射神経、運動神経、知覚力は
優れていた。訓練さえすれば、リサに劣らぬ戦士になれるであろうほどに。
だが、そんな素質だけでどうか出来るほど、刺客達の攻撃は甘くなかった。
彼らは緻密な計算の元に攻撃を続け、ピートを追いつめていった。それにピー
トが気付いたのは、何度目かの攻撃をかわして木にぶつかった時である。
ぶつかった彼に、正面から刺客が襲いかかる。ピートは、ぶつかった衝撃で
体勢を整えていない。間違いなく、殺せる体勢である。
「！！」
さしものピートも顔が青ざめる。反射的に身体を縮め、ダメージを押さえよ
うとする。
ドスッ！
「間に合ったか・・・」
鈍い音に聞き覚えのある声。衝撃が来ない事と合わせて困惑しているピート
は、顔を上げた。
「グロウ！！」
「無事で何より」
刺客の胸に矛を突き込んだ姿勢のまま、グローウォームは安堵のため息をつ
いた。刺客達はと言えば、彼の気配を全く感じなかった事にショックを覚えて
いるらしい。ただ、呆然と見守っていた。
そんな中、彼は、左腕一本でピートの身体を抱えると、リサと合流すべく走
り出した。矛を刺客から引き抜き、一気に加速する。そして、十分な速さをつ
けると、矛を棒高飛び棒代わりに使って枝の上に飛び上がる。続けて、全く勢
いを殺さないで枝を蹴り、リサに対する包囲網を飛び越え、彼女の隣に着地す
る。
「驚いたね」
リサが呆れたように言う。無論警戒は解いていない。グローウォームはピー
トを降ろしながら応じる。
「まあね、傭兵稼業って言っても、ほとんど何でも屋みたいな事やってたから
・・・」
ピートを背後にかばうようにして、矛をしっかりと構える。
「で、こいつらに心当たりは？」
「あるよ。だが、説明は後だ」
彼の言葉に合わせるように、刺客達が３人に対する包囲網を完成させつつあ
った。
「リサ、ピートを連れてエンフィールドへ逃げ込んでくれ」
「ボウヤはどうするんだい？」
「シンガリってのが必要だろう？」
「冗談じゃない！たった１人で連中を食い止める気かい！？」
「今までもやってきた事だからな。今回だって上手くやってみせるさ」
「・・・・・・」
「かばいながら戦うより、１人でシンガリをやる方が気が楽だ」
グローウォームは軽く肩をすくめた。既に刺客達は再包囲を終了している。
「そういうわけだから、引き受けてくれ。それにこいつらの狙いは俺だからな」
「・・・後で話を聞かせてもらうよ」
「当たり前だ。アリサさんと約束している事もあるからな」
静かな笑いを浮かべてそう言うと、彼は懐に手を入れた。一瞬後、表情を消
し、手にした何かを地面に叩き付けた。
閃光と爆音、そして衝撃波が今まさに攻撃に移らんとしていた刺客達の出鼻
をくじいた。
「行くぞ」
爆煙が収まらない内に、３人は走り出す。煙と衝撃波のおかげで、刺客達が
気付くまでに３人は包囲網の外側に飛び出す事が出来た。
「逃がすな、追え！」
「そうしてもらっては困るんだ」
指揮者の命令に、グローウォームは冷静に応じて、１人振り返る。本来の標
的である男の残留に、彼らは戸惑った。逃げる２人を追うべきか、それとも目
の前の標的を討つか、どちらの命令を優先させるか、判断できなかったのだ。
その躊躇が、隙を呼ぶ。
「！！」
その刺客が我に返った時、最初に知覚したのは自分の首に勢い良く押し当て
られた刃の感触。そして、それが最後の感触であった。
グローウォームの矛の一振で、刺客の首は切り飛ばされた。その隙に２人が
彼の後ろへ抜け出てたが、リサとピートを追う事は出来ない。
なぜなら、振り返ったグローウォームが彼ら２人に手裏剣を放ったからだ。
片方の刺客は振り返り、剣を使って叩き落とした。もう片方は近くの枝に飛び
上がることでかわそうとした。
それこそがグローウォームの望んでいた動きだった。枝に飛び移ろうとした
刺客目掛けて、左腕を今度は振り上げる。それによって勢いを与えられた手裏
剣は驚くほど正確に、刺客の首に突き刺さり、そのまま骨に食い込み、延髄を
断ち切った。一瞬にして、刺客の身体は意志の制御を受け付けなくなる。本来
なら枝を蹴って追跡を続行するはずが、投げつけられた人形のように枝にぶつ
かり、そのまま身体を半回転させて、頭から落ちる。地面と激突する音は、枝
や葉がこすれあう音にかき消された。
そして、もう１人の刺客は、それとほぼ時を同じくしてグローウォームに斬
られていた。矛の斬撃を防いだ直後、グローウォームの左手が抜いた小剣に喉
笛を切り裂かれたのだ。
またたく間に２人を討ち取れた刺客達は、方針変更を決意した。とりあえず、
目の前のグローウォームを倒す事だけに専念する。逃げた２人はそれから殺せ
ばよい。２人から自分たちの存在を告げられた者も全て殺せば何の問題もない。
彼らはそう決意したのだ。
「ようやく舞台が整ったな・・・」
自分を包囲する刺客達を見ながら、グローウォームは呟いた。これで、何の
心配もなく戦える。
グローウォーム君と共に戦った時の事かね？もちろん覚えている。その時の
彼の印象か・・・彼がどんな男であるか、私はある程度理解していると思う。
だが、それをあなたに伝えるのは難しいな・・・。彼の生き方、考え方は、あ
る程度の修羅場をくぐった者でなければ、分かりづらいだろうから・・・
リカルド・フォスターの証言
リサとピート、グローウォームの希望を容れてエンフィールドまで駆け戻っ
てきた２人は、自警団事務所の戸を激しく叩いた。
「何事かね？」
いう言って姿を見せたのが第一部隊隊長、リカルド・フォスターであったこ
とに、リサは安堵の念を抱いた。彼は独善と暴走の傾向が見られる自警団の中
で、もっともバランス感覚にとんだ人物であり、人の話を落ち着いて聞く傾向
にある。エンフィールドに来て間もない自分の話でも、聞き届けるはず、リサ
はそう思ったのだ。
「大変なんだ。誕生の森の辺りに、武装した一団がいる」
「そいつら、オレ達にいきなり襲いかかって来たんだ！」
目一杯焦りつつ、ピートが叫ぶ。
「今、グロウの奴が１人でがんばってんだ！早く、行ってくれよー！！」
さらに袖を引っ張る。リカルドは、そんなピートを落ち着けるかのように、
手を頭に乗せて、確認した。
「今、誕生の森に武装した一団がいて、君達を襲った。さらに今現在も、アリ
サさんの所にいるグローウォーム君がその一団と戦っている。そういうわけ
だな？」
「ああ。ついでに、連中は強いよ。下手な連中は置いていった方がいいね」
と、リサが付け加える。リカルドは１つ頷くと、視線だけ後ろに向けた。
「アル！聞いたとおりだ。私はただちに誕生の森に向かう。お前は完全武装の
団員を連れて後から来るように」
「分かりました、隊長！」
いつの間にか完全武装状態のアルベルトが来ていた。この辺の素早い反応は、
賞賛に値するであろう。
「リサさん、ピート君。アリサさんの所へ行って事情を聞いてきてくれ。あと、
彼らがいる場所を細かく教えて欲しい」
「ああ、いいよ。場所は・・・」
リサは手短に、いくつかの目標物を伝えた。
「なるほど。場所は分かった。その近辺を捜索しよう」
そう言って、リカルドは剣を左手に駆け出した。
「行くよ、ピート」
「おう！」
リサ、ピートはジョートショップへ向かう。そして、自警団事務所の各部屋
に、明かりが灯された。
時間は、グローウォームとリサ達が別れた直後までさかのぼる。
包囲状態下にあるグローウォームは、その状態をひどく冷静に認識していた。
（１２、３人って所か・・・）
数的には圧倒的に不利である。それを補うには、先手をとり続ける事と速さ
で相手を上回ることが不可欠だ。そうするには・・・
「隠し玉を使うとするか・・・」
グローウォームはそう呟いて、何事か唱え始めた。それを翻訳すると、次の
ようになる。
〈機能封印解除。捜索／誘導機能作動。警告機能作動。魔力媒体機能作動〉
［了解、封印解除。指定機能作動開始］
続けて、彼の頭にだけ、そんな返事が届く。いや、正確には言葉ではなく、
彼の感覚そのものが急激に鋭くなった、そんな感じがもたらされた、というべ
きだろう。そして、矛から「力」が発せられるようになった。
「危険だ・・・」
「力」を見抜く事が出来る魔術師が、矛の「力」に気付き、警告を漏らす。
「あの矛は・・・危険だ・・・」
「どういう事だ？」
「分からん・・・」
指揮者の問いに、魔術師は頭を横に振る。あまりに「力」が大きすぎて、そ
の詳細が判然としないのだ。
「だが、危険だということだけは分かる、か・・・」
「そうだ、あの力を使わせてはならない」
「では、一度で決着をつけよう」
指揮者はそう言って、軽く手を振った。それと同時に、グローウォームも動
いた。
「〈シルフィード・フェザー〉」
ブオォォォッ・・・
呪文詠唱がすむと同時に、彼の回りを風が渦巻いた。〈シルフィード・フェ
ザー〉詠唱時に発生する渦巻きだが、今回のそれは並みのものより強く、周囲
の枯葉を巻き上げるほどであった。１秒にも満たない短い時間で渦巻きがおさ
まった時、彼の周囲に何かが落ちた。それは、彼を負傷させる目的で投じられ
た鉛球と呼ばれるつぶてである。先ほどの渦巻きに巻き込まれて、グローウォ
ームの身体にめり込む前に勢いを殺されたのだ。
飛び道具による先制攻撃が失敗に終わった事を知っても、刺客達の行動は変
わらない。グローウォームに接近する刺客の動きを止めたところで、相手につ
けいる隙を与えるだけで意味がない。それよりは、そのまま攻撃した方が（危
険はあるが）ましである。運が良ければ手傷を負わせる事も出来るであろう。
一方のグローウォームは、鉛球の墜落を確認すると同時に動き出した。襲撃
対象は右手前方の刺客。彼が一番近くにいたのだ。確認と同時に走り出す。
「は、速い！！」
走り出したグローウォームのスピードに、刺客が驚きの声を上げる。〈シル
フィード・フェザー〉の効果以上に、彼の動きは増速していた。
慌てて剣で彼の斬撃を防ごうとしたが、手遅れだった。剣を持った腕を最初
の一撃で切り飛ばされ、返す一振りで脇腹から肩まで斬り上げられた。
［警告、隠蔽敵確認、２時方向、仰角６０度］
次の刺客へ向かおうとした彼の脳裏に、そんなイメージが浮かぶ。感じ取っ
た方向に視線を向けると、絡み合う枝と木の葉のおかげで隠れるのに適当な場
所が、確かに存在していた。確認と同時に決断する。
勢いよく地面を蹴り、そして飛び上がる。
「！！な・・・に・・・」
そこに隠れている刺客を確認すると、相手の動揺を無視して矛を突き下ろす。
胸板を貫かれた刺客は、その衝撃で枝の上から叩き出された。最初の内こそ、
身体に突き立てられた矛の刃によって宙に浮いていたが、やがて重力に引かれ
るままに地面へと落ちた。地面に叩き付けられるのと同時に、刺客２人が同時
に手裏剣を投げ放つ。彼らは、グローウォームがその場から飛び離れる事も予
想して投げていたが、グローウォームの行動は予想を裏切った。
ガサササッ
派手に枝と葉がこすれる音と共に、彼は足の甲だけを枝に引っかけ、ぶら下
がったのだ。むなしく木に突き刺さる手裏剣。計算違いの事態に驚きながらも、
反射的に横へ跳び、グローウォームからの反撃に備える。だが、今回も彼に先
手を取られていた。ぶら下がると同時に投げ放った手裏剣が、横へ跳ぼうとし
た刺客ののどを捉えたのだ。
「！！」
絶鳴は音となって伝わる事はなかった。そして、跳ぼうとした時の姿勢のま
ま、横倒しに倒れる。その時、グローウォームの姿は枝の下にも上にもなかっ
た。それもそのはずで、この時すでに彼は枝の上に飛び上がり、その勢いで枝
を蹴り、別の木へ向かって跳んだのだ。同じ所に留まって、攻撃を受ける危険
を避けるためでもあるが、それ以上に、再び感じた隠れている敵を攻撃するた
めでもある。
（まさか、こちらのはずは・・・）
対象となった刺客は最初のうちこそ、そう思っていた。だが、グローウォー
ムの姿が薄雲に透ける満月と重なった時、それが誤りであることを悟りざるお
えなかった。
満月と重なり、１つの影となった彼の目だけが、ギラギラと光り刺客を射抜
いていた。
「馬鹿な・・・」
刺客は小さくうめいた。信じられなかった。完全に隠れていたはずなのに、
見つかるなんて。だが、刺客が信じようが信じまいが、グローウォームは彼を
睨み付けていた。その瞳が放つ、狼を思わせる光に、彼は身動きが出来なかっ
た。これも信じられない事に、彼はグローウォームの視線に、圧倒されたのだ。
身じろぎ１つ出来ない彼の視界の中で、影が動く。直後、何かが月の光を反
射してきらめいた。続いて喉と胸とに軽い衝撃。それが、グローウォームの放
った手裏剣と気付いくまで、彼の意識は続かなかった。
グローウォームは枝に取り付くと、すかさず矛を一振りして単なる死体とな
った刺客を叩き落とす。すかさず、次の標的を選びにかかるが・・・
［警告、警告。魔力反応増大。５時方向。類別、精神攻撃魔法。要対処］
再び頭の中に浮かぶイメージ。振り返れば、刺客達の中で唯一違う服を着た
男が、何かの印を結んでいる事に気付いた。
（仕方がないな・・・）
グローウォームは魔術師を攻撃することに決めた。無論、それは危険な攻撃
である。枝の上から飛び降りる瞬間を狙われるかも知れない。それがなくとも、
刺客達の後方へ飛び込むから魔術師を倒しても後背から斬られる可能性もある。
だが、それらの危険をおかしてもなお、精神攻撃魔法は避ける必要があった。
〈眠り〉などをかけられれば、それで終わりである。そうでなくとも、〈混乱〉
や〈幻影〉でも、致命傷になる。なぜなら、１人で戦う彼の優位を支えたもの
の１つは、彼の冷静さがもたらしたものだからだ。精神攻撃魔法は、それを簡
単に奪い取る。そんな事態を招くより、刺客に斬られる危険の方がまだ「まし」
である。少なくとも、防ぐ方法もあるし、致命傷を避ける方法もある。
そういったもろもろの判断を瞬時に下した彼は、枝を蹴って再び飛んだ。
（かかった）
その姿を見て、魔術師はほくそ笑んだ。今、自分が唱えている呪文は、古代
の魔術で、詳細は不分明だが、相手の戦意を奪う効果があった。発動すれば、
相手は戦意を失い、その場に棒立ちになる。彼は、この呪文で何人もの強敵を
殺してきたのだ。
長く、複雑な呪文詠唱が終わったその時、グローウォームが彼の前に着地し
た。その隙を狙って刺客の１人が斬りかかる。だが、矛であっさりと防がれた
ばかりか、逆手で抜き打った小剣で胸板を切り裂かれた。あっという間の出来
事だが、彼にとっては十分な時間をもたらした。呪文発動の最後の詠唱を行う、
十分な時間を。そして、彼は発動させた。
（遅かったか？）
魔術師の手が組む印が光るのを見て、グローウォームはそう思った。そして、
闇に慣れた目が視力を失わないように目を閉じる。直後、光が彼を包んだ。そ
れは一瞬の事だが、呪文としては、それで十分だった。
「終わりだな、これで・・・」
勝利を確信した魔術師は、小さく呟いた。
［魔法発動。種別、精神打撃魔法。効果詳細不明。要確認。光度、減衰］
脳裏に浮かぶ情報を元に、グローウォームはゆっくりと目を開けた。確かに
光は消えている。
（催眠魔法でも幻覚魔法でもないとはな・・・一体、何なんだ？）
別に記憶がなくなっているわけでもない。特定の感情が極端に大きかったり、
小さかったりすることもない。戦うにあたって、何の問題もないように思われ
た。
（では、続けよう・・・）
彼はそう結論づけると、背後に迫った刺客を矛の横薙ぎの一閃で切り捨てた。
続けて、魔術師目がけて飛びかかる。
「馬鹿な・・・！」
能動的に動いた彼を見て、魔術師は思わず叫んでいた。ありえない、戦意を
喪失しているはずなのに、攻撃してくるなど・・・。
だが、現実は彼の思考を無視して進行する。魔術師が何か反応する前に、グ
ローウォームの矛が、彼の胸板に突き立った。
（そんな・・・何故だ、何故、戦えるのだ・・・？）
死にゆく魔術師の疑問に、誰も解答を伝えなかった。
実の所、その解答は彼の使った呪文そのものにあった。彼が使った呪文は、
「戦意を奪う魔法」ではなく、「憎悪や怒りを消す魔法」だったのだ。大抵の
人は、怒りなり憎悪なりをかきたてて戦うから、この呪文で戦意を奪う事も出
来る。だが、グローウォームはそうではなかった。彼が戦う最大の理由は、自
分に親しくしてくれる人々に、迷惑をかけるわけにはいかないという、義務感
からだ。そんな男から憎悪や怒りを奪った所で、戦意を奪う事にはならない。
つまりは、呪文の詳細も、相手の事も、良く知らずに使った魔術師自身のミス
だった、というわけである。
己のミスの代償を命で支払わされた魔術師が倒れると、刺客達は再度グロー
ウォームを包囲した。既にグローウォーム１人のために、１０名以上の刺客が
倒されている。これ以上の損害は彼らのプライドにかかわる。いや、すでにプ
ライドはズタズタにされている。せめてグローウォームを倒さなければ、彼ら
の気がおさまらない。
そんな思いを込めて、指揮者は手刀で空を切る。それを合図として、残る刺
客達が一斉に襲いかかった。同時に、グローウォームも動く。相手に先手を打
たせてやるほど、彼はお人好しでも愚かでもない。彼は、３人固まって突っ込
んで来る刺客達へ突っ込んだ。
「なっ！？」
よりにもよって最も多い集団に突っ込まれた刺客達は、また動揺した。そん
な事は予想していなかったのだ。その動揺を突いて、グローウォームは矛を横
に一閃させる。１人は胴の半ばまで切られ、横に飛ばされる。もう１人は最初
の１人に巻き込まれ、もろともに転倒した。最後の１人は後ろに跳んで、矛の
切先を逃れた。続けて手裏剣が襲いかかってきたが、全てを剣で打ち落とす。
さすがにここまで生き残っただけの事はあり、簡単に倒れるような未熟な者は
いない。
だが、グローウォームは攻撃の手を緩めない。死体となった刺客を踏みつけ
て、深々と食い込んだ矛を引き抜き、手裏剣を打ち落としたばかりの刺客目掛
けて斬りかかる。手裏剣を打ち落としたばかりで体勢の整わない刺客は、再び
後ろへ跳ぶ。そんな刺客を、彼はさらに追撃する。
「ちいいいっ！！」
肉薄してくるグローウォームに、刺客は舌打ちをもらす。あまりに執拗な攻
撃のせいで、体勢を立て直せないからだ。仕方なく、体勢が整わないまま、彼
の斬撃を防ぎにかかる。そんな刺客の視界の右隅に、グローウォームの矛がす
くい上げるように襲いかかってくるのが入る。すかさず剣をその軌跡上に立て、
斬撃を防ぐ。そして、そのまま剣を右に押し出して矛を流そうとする。すると
意外なほど軽く、剣を押し出せた。
（何！？）
余りに軽すぎる反応に、戸惑いすら覚え視線を右に向ければ、グローウォー
ムは攻撃を受け止められたのを幸いとばかりに、横へ駆けていた。何のことは
ない。彼は一カ所にとどまるのを嫌って、一度離脱したのだ。刺客達から距離
を取った彼は、再構築された半包囲網に突っかけ、そして駆け抜ける。そんな
一撃離脱を開始したが、刺客を倒す事は難しくなっていた。理由は、ここまで
生き残ってきた刺客達の技量が（今までも述べたように）それなりの水準にあ
るためが１つ。２つ目は数が減ったために、刺客側も反応しやすくなったとい
うのがある（大勢の場合、一部の認識が伝わるのに時間がかかり、混乱が起き
やすい）。そんな理由から、５回に渡る突入において、彼が討ち取った刺客は
わずかに２人である。そして、刺客達はまだ８人が生き残っている。
（このままじゃ、こっちの方が先にバテるな・・・）
グローウォームは既にジョートショップで刺客達と戦っている身である。つ
まり、この戦いに突入する前から体力的には消耗していたのである。そこへ持
ってきて、さらに長時間の戦闘を強いられれば、体力的限界が来るのも当然だ
ろう。それを避けるには、何か一押しする必要があった。それも相手がしばら
く立ち直れないような混乱に叩き込むような何かが・・・。
（誰かが来てくれれば、それで十分なんだが・・・）
そう思った直後、実に見事なタイミングで、その「誰か」が現れた。
「そこまでだ！」
低く、重みのある声。そして、決して大きくはないくせに、その場にいる者
の誰１人として無視しえない存在感をもって、その声は響きわたった。
「これ以上、この場で戦うというのなら、我々自警団が相手になろう」
まるで、何人も引き連れているかのような発言だが、これははったりである。
その事は、グローウォームにも刺客達にも分かった。だが、１つだけ、両者の
認識にはずれがあった。それは声の主の技量である。グローウォームは、その
気配から声の主は相当な強者だと判断した。刺客達はその点には気付かなかっ
た。それは、意識の違いの産物と言える。刺客達は（この期に及んでも）自分
達より実力が上の者などいるはずがない、そう信じているのだから、相手の技
量など判断できる訳がないのだ。
そういった理由から、声の主を抹殺するために派遣した刺客は、たった１人。
それで十分と判断したのだ。その１人は素早く声の主を見つけ出すと、そのま
ま一気に間合いを詰めて斬りかかった。直後・・・
「ふんっ！」
かなり白くなった灰色の髪をなでつけた、その壮年の男は、気合の声と共に、
剣を抜き打った。その軌跡は刺客を捉え、一瞬後、刺客の身体は２つに切り裂
かれ、宙を舞う。
「どうやら、容赦も手加減もいらないようだな・・・では、自警団第一部隊、
リカルド・フォスターがお相手しよう」
その名前を聞いた途端、刺客達に動揺が走った。彼らは、リカルドの勇名を
知っているのだ。それでも、指揮者は判断を下さねばならない。彼は、リカル
ドに６人差し向け、グローウォームには１人を当てて牽制する事にした。合流
前に各個撃破しようと判断しての事だが、結果は大失敗に終わった。１分とた
たない内に、７人の刺客は４人まで倒されたのだ。
事ここにいたって、彼らは失敗を悟りざるおえなかった。グローウォームと
その関係者を抹殺するには、これ以外の方法を取らなくてはならない。だが、
それも彼らが事実を伝えなければ、分からない事だ。彼らは、そう判断すると、
一斉に逃げ出した。ただし、ただ逃げたのではない。グローウォームとリカル
ド、２人の追撃を避けるために、指揮者ともう１人が残って彼らに襲いかかり、
残る１人がわき目もふらずに逃走したのだ。
その２人と、グローウォーム、リカルド両名の戦闘は、２分もかかった。最
後の最後まで生き残った技量の持ち主が、決死の覚悟で抵抗したため、彼ら２
人といえど、そう簡単に倒す事など出来なかったのだ。
そして、この２分は逃走者となった最後の刺客にとって、貴重極まりないも
のだった。おかげで、彼はあらかじめ隠してあった馬に乗る事が出来たのだか
ら・・・。
「逃げられたか・・・」
馬での逃走を確認したリカルドが、小さく息をついた。いくらなんでも、馬
と競争出来るわけがない。最後の１人くらいは捕らえて、その背後関係を調べ
たかったのだ。一方、グローウォームは・・・
「逃がすか・・・」
小さく呟いた。続けて、素早く印を組む。
『炎よ、我が手に集え。紅の弾となりて、我が敵を撃ち抜け』
「待ちたまえ、それでは・・・！」
彼の呪文詠唱を聞いて、リカルドは驚きと制止の声を上げた。だが、彼はそ
んな声に耳を貸す気はなかった。そのまま詠唱を続け、完成させた。
「〈ルーン・バレット〉！」
見えざるボールでもつかむかの様に、虚空をつかむ右手に３個の火の玉が出
現し、声と共に撃ち出される。火の玉は、互いに絡み合うような軌跡を描きつ
つ、全体としては逃げる刺客目がけて突進した。突進し、追いつき、そして、
刺客の背中に着弾した。本来であれば、火の玉はそこで爆発を起こすはずなの
だが、この火の玉は爆発なしに刺客の身体を背中から胸へと撃ち抜いた。
「！！」
刺客は、何がその身に起こったか、気付いていないかのようにしばらく鞍上
に留まっていた。だが、やがて、糸に引かれるかのように落馬し、地面に叩き
つけられた。
その光景を見届けたグローウォームは、刺客に向けていた右手を降ろし、無
意識に地面に突き立てた矛を引き抜く。そこへ、リカルドが声をかけた。
「あえて・・・殺す必要はなかったように思うが・・・？」
「俺は１人も帰すわけにはいかなかった。だから殺した。ただ、それだけだ」
「帰すわけにいかない理由とは？」
「言わないといけないのか？」
反問するグローウォームに、リカルドはあっさりと応じた。
「先ほども言ったと思うが、私も自警団の人間なのでね。先ほどの行為は見過
ごせないのだ」
「・・・・・・」
「逃げる相手を背中から攻撃したとなれば、正当防衛では通らない」
「ならば、どうする？」
「どうしても話さないと言うならば、君を殺人の罪で逮捕する」
その宣告に、グローウォームは瞑目した。だが、しばらくすると、大きく息
をついて呟いた。
「別に、今すぐここから姿を消しても構わないんだが・・・まぁ、アリサさん
との約束もあるし、話すとするか・・・」
続けて、落ちかかる髪をかき上げるとこう言った。
「少し時間がかかるぞ」
座るのにちょうど良い岩を見つけると、２人は向き合いになって座った。
「まず、この話は他言無用だ。上司部下は当然として、家族にも話さないでも
らう。この条件が守れないなら、俺は今すぐ姿を消す」
「守ろう。今から聞く事は誰にも話さない」
リカルドが重厚さを感じる口調で請け合うと、グローウォームは話を始めた。
「まず、何から聞きたい？」
「そうだな、あの男達の正体を聞こう。とりあえずはそれからだ」
「ああ。・・・確証はないが・・・おそらくは北の帝国、そこの、誰か貴族の
手勢だな」
「ほう・・・」
「別口かも知れないが、動きから見て、間違いないだろうよ」
リカルドは軽く頷いて、質問を続けた。
「何故、そんな連中が君を狙う？」
「連中が欲しがっているのは・・・」
グローウォームは面倒くさそうに、矛を地面に突きたてた。
「こいつだよ」
彼の言葉に、リカルドは目を丸くした。
「この矛を、かね？」
「引き抜いてみりゃ、分かる」
両手を頭の後ろで組んで、彼は言う。そんな彼を、リカルドは目を細めて見
つめたが、彼は説明する意志がないらしい。それを悟ったリカルドは黙って腰
を浮かして、その矛に手をかけた。
「ん？」
抜けない。グローウォームは矛を無造作に、軽く突き立てたはずである。片
手で引き抜けないはずないのだが、まるで根でも張ったかのようにびくともし
ない。
「これは・・・？」
姿勢を改め、両手をかけて力を込めるが結果は同じである。
「抜けないだろ」
いたって穏やかな口調で、グローウォームは言った。そして、矛の石突きに
手を添えて、小さく呟く。
「今度はどうだ？」
そう言われて、リカルドはもう一度、力を込める。すると今度は、拍子抜け
するほどあっけなく矛が抜けた。むしろ、勢い余ったくらいだ。驚くリカルド
に、彼は表面だけの微笑みを浮かべつつ、一本の木を指し示した。
「それじゃ、あの木を斬ってみてくれ」
「構わないのかね？」
「いいよ。別に壊れるようなヤワな造りはしてない」
グローウォームの言葉に頷くと、リカルドは木と相対した、適切な間合いを
取って、矛を構える。ゆっくりと呼吸を整えると・・・
「ふんっ！」
気合いと共に斬りつける。だが、斬れなかった。
「！？」
信じられない事であった。矛自体が、物を斬るのを拒むようにその勢いを殺
したのだ。矛は、木との間に薄紙１枚分の隙間を開けて静止している。いくら
力を加えても、それ以上進まない。もう１度、試してみたが、全く同じ結果に
終わった。
「これは、一体・・・？」
「魔法仕掛けでね。俺の命令１つで、単なる役立たずのふりも出来るし、逆に
どこに隠れていようが確実に見つけ出す事も、魔力を増幅させることも出来
る・・・かつて邪竜と闘うために作られたものらしい」
「邪竜と？・・・！そうか、『スレイヤー』か！現存していたとはな・・・」
リカルドは納得の声を漏らした。かつて、大陸を破滅の一歩手前まで追い込
んだ邪竜族。彼らに対抗すべく、天に住む神々と地に住む者達は共同で、１つ
の武器を作り上げた。それが「スレイヤー」と呼ばれるものである。
基本的には所持者の知覚力と魔力の増幅器であり、同時に状態を判断し警告
するアドバイザーとしての機能を持つ。全ての機能を開放した場合、その刃は
神でさえ切り裂くと言われている。それほどまでに、強力な武器であったのだ。
もっとも、今ではその製造方法は失われ、１０００近くあった完成品も長い
時間の中で全て失われた。そう思われていた。
「だが、何故『スレイヤー』を欲しがるのだ？」
「スレイヤー」は強力な武器であるが、その反面、制約がある。全ての機能
を使いこなすには「所持者」として「スレイヤー」と精神同調を行う必要があ
るし、「所持者」以外の者にはいかなる機能も使いこなせない。したがって、
所持者を殺害して「スレイヤー」を奪い取っても無意味なのだ。無論、所持者
自身が同意の上であれば、機能を使いこなすだけでなく、所持者の変更すら可
能だが・・・。
リカルドの問いも、その点をふまえたものだ。だが、グローウォームも、そ
の点には答えられなかった。「欲しがっている」事は分かったが、「何故」か
は分からないのだ。
「さあな。レプリカでも作る技術でも見つけたか、それとも別の理由かは俺に
も・・・」
途中で口を閉ざし、何の前触れも無く右手を閃かす。一瞬後、喉笛を手裏剣
で切り裂かれた刺客が枝から落ちた。グローウォームは面白くもなさそうに近
寄ると、既に息のない刺客の身体をつま先でひっくり返した。
「ふん、見届け役か・・・欲をかくからだ」
おそらく、彼らの会話の内容を報告するつもりであったのだろう。重要な部
分は聞き届けたと見て、この場を離れようとしてグローウォームに気付かれた
のだ。
「・・・今の会話を聞いていたのか？」
「間違いなくな。そして、これがここにあるとこいつらの雇い主に届けば、間
違いなくエンフィールドは戦場になるぞ」
うなるような声で、グローウォームは言った。顔からは表情が消えていた。
「馬鹿な・・・いくら伝説の『スレイヤー』とはいえ・・・」
リカルドは、信じがたい、と言わんばかりに呟いた。そんな彼を、グローウ
ォームは冷たく一瞥する。
「信じたくないなら、信じなければいいさ。だが、言っておく。こいつを狙っ
て連中は、俺の故郷を襲い、俺がたまたま長居した村を焼き払った。どちら
の時も俺１人しか生き残らなかった。この街を消されたくないなら、決して
この事を話すな。話そうとするなら、俺があんたを殺す」
素っ気ない、射るような口調で言い放つ。そんな声に、尊重すべき何かを感
じたらしい。リカルドは、重々しく頷いた。
「大体の事情は分かったからな。約束通り黙っていよう。だが何故、私に話す
気になったのだ？誤魔化してもよかったろうに」
「話せと言ったのはそっちだろう。それに、大人しく誤魔化されてくれたのか？」
素っ気無く切り返す。そして、視線をある一点へ向けた。
「もう、来たか・・・」
言葉の意味はリカルドにも理解出来た。複数人の気配が近づいてきたのだ。
「すまないが、口裏は合わせてくれ。違う事を言ったら、怪しまれる」
「どう、説明するのかね？」
「こいつらは、元軍人の山賊。俺に潰されて復讐に来たとしといてくれ」
「いいだろう」
リカルドの頷きに、リサとピート、そしてアルベルトら自警団員の呼びかけ
が重なった。
何で居着く気になったかって？別に気にするほどのことでもないだろ。それ
こそ、単なる気まぐれかもしれないし、コイントスの結果かもしれないし、恩
返しのためかもしれないし・・・。
グローウォーム・グレイフォードの証言
「お帰りなさい、グロウクン」
帰ってきたグローウォームを出迎えたアリサの、第一声はこれであった。こ
の声を聞いた途端、彼は気が付いた。故郷を失って以来初めて、自分に優しく
接してくれた人たちを誰１人として失うことなく、刺客達を退けたという事に。
そしてもう１つ、アリサ・アスティアという女性が、自分にとって「帰る所」
になろうとしてくれている、という事にも・・・。
（いや、違うな・・・アリサさんは最初から、俺がここにいる事を望んでいた。
俺が、それを拒んでいただけだ・・・）
だが、拒む理由は失われ始めていた。刺客達は全滅させた。彼がここにいる
事を、刺客達の仲間が知るのには相当な時間と捜索が必要である。つまり、ア
リサ達が自分の巻き添えになる可能性が小さくなった。
そして、アリサは殺戮者としての自分を見ても、それでも受け入れてくれて
いた。それどころか、積極的に引き留めようとしている。
（これで拒み続けたら・・・恩知らずになるよな、やっぱり・・・）
アリサが何故、自分を引き留めるのかは分からないが、今の自分に出来る恩
返しは、せいぜい彼女の希望をかなえる事だけである。で、あるならば・・・。
彼はここ数年、口にしたことがない言葉を、ゆっくりと押し出した。
「ただいま・・・アリサさん・・・」
これが、グローウォームにとっての「エンフィールドの住人」としての「始
まり」だった。
一方、誕生の森では、別の「始まり」が告げられていた。
刺客達（当然、表面的には山賊と処理されている）の死体が片づけられ、自
警団も引き上げた場所に、１人、たたずむ者がいた。
目を眼帯で覆ったその人物は、何かを感じ取るようにじっとしていたが、や
がて、口元を嘲笑するかのように歪めた。
「くくくく・・・・ヒャーッハッハッハッハッ！！」
自分を含めたこの世の全てを嘲るかのように哄笑する。確かに、この人物は
何もかも侮蔑していた。自分がここにいるきっかけとなった事にも。そして、
それに関連した諸々の事象を。そして、そんな事からここにいる自分自身も。
（くくく・・・思い知らせてやるぜ。この世に意味のあることなんて、何一つ
無いって事をなぁ）
そして、人を不愉快にさせる哄笑と共に、その人物はゆらいで、消えた。亡
霊のように・・・。
２つの「始まり」が、別の１つの「始まり」を呼び起こし、エンフィールド
の命運に関わる事態を引き起こす。だが、それには半年近い時間を必要として
いた・・・。
ＥＮＤ
後書き
松です。「全ての始まり」の後編をお届けします。
よーやく、よーやく完結です。これを書き始めたのは今年の初めだから、丸
１年、これに費やしたわけか・・・；間にＳＳコンテストとか、別の作品を書
いていたりはしたけど、ずいぶんとかかったものです。
さて、これでグローウォームがエンフィールドに居着くまでは書けたわけで
す。で、こっから先は本編通りに事件が起こって（とは言え、彼ですから展開
が結構違うだろうが；）、話が始まります。
それにしても、この話、長いよ。しかも、１年がかり・・・
あ、そうそう。「ＢＩＧ ＴＲＥＥ」でグローウォームはエルに「父親は木
に押しつぶされて死んだ」と言い、このＳＳではリカルドに「襲撃にあって死
んだ」と語っていますが、別に矛盾はしていませんし、彼がエルに嘘を言った
訳でもないです。（ようするに、彼の父親は襲撃者の罠である倒木によって死
んだのです）
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松