グロウくんと初めて会ったときの事ですか？最初はさくら亭で会ったんです。
ええ・・・その時はまだ、右腕を吊ったままで・・・。え？何か印象に残ること
ですか？うーん・・・あ、そう言えば、この時、酔っぱらいが２人、さくら亭で
暴れ出したんです。その時、グロウくんとリサさんがその人たちを取り押さえた
んです。ええ、グロウくんは左腕だけで・・・私、すごく強い人なんだって思い
ました。
シーラ・シェフィールドの証言
呆れたわよ、本当に。酔っぱらいが殴りかかってきたかと思ったら、もう相手
の後ろに回り込んでいるんだもの。一週間前まで、起きあがれないくらいに怪我
をしていた奴の動きとは、思えなかったわね。
パティ・ソールの証言
カランカラン・・・
「ちわースっ」
「いらっしゃい、テディ・・・っと、あら」
さくら亭に姿を見せたテディに、パティはいつもの明るい声をかけ、そして戸
惑いの視線をドアに注いだ。そこには、バネの力で閉まろうとするドアを、左肩
だけで苦労して支えているグローウォームの姿があった。
普通なら手で支えておけばいいのだが、今のグローウォームにはそれは不可能
であった。右腕は三角巾で吊っているし、空いている左手には何かの大きな包み
を下げている。要するに、両手ともふさがっているのである。
そんなわけで、左肩だけでドアを押し開けつつ、グローウォームはさくら亭に
入った。
「邪魔するよ」
「グロウ・・・あんた、もう出歩いていいの！？」
「ああ、右腕を動かさない限りは構わんとさ」
カウンターの上に包みを置きつつ答えるグローウォーム。そんな２人に、カツ
ンター席に座っていたシーラがおずおずとたずねかけた。
「あの、パティちゃん。こちらの人は・・・？」
「あ、ゴメン、シーラはまだ話したことなかったんだっけ。こいつ、グローウォ
ーム・グレイフォード、愛称はグロウ。この間、アリサおばさんが助けた行き
倒れよ」
身も蓋もないパティの紹介の仕方に、思わず苦笑するグローウォーム。そんな
彼に向かって、パティはシーラを紹介する。
「彼女はシーラ・シェフィールド。シェフィールド家の一人娘で、彼女自身もピ
アニストを目指しているの。あ、そうだ！シーラもあんたを助けるの手伝った
んだから、ちゃんとお礼言いなさいよ」
「パ、パティちゃん・・・」
シーラが少し赤くなった顔を恥ずかしげにうつむかせた。そんなシーラにグロ
ーウォームは左手をさしだす。
「グローウォーム・グレイフォードです。助けてくれてありがとう」
「い、いえ、私、何も・・・」
シーラは顔をますます赤くしてうつむいてしまった。そんなシーラの態度に、
グローウォームは首をかしげた。何かしただろうかと考えていると、パティが笑
いながら説明した。
「あはは、シーラはね、男に全然免疫がないのよ」
「なんだ、そりゃ？」
「元々ピアノの勉強とかで外に出ない方だったのよ。だから、話したことのある
男って、お父さんかピアノの先生ぐらいなの。これでも、最近は良くなった方
なのよ」
これで「良くなった方」なら、元々は一体どういう娘だったのだろう？という
素朴な疑問をグローウォームは抱いたが、その疑問を口にするより早くパティが
質問してきた。
「それより、グロウ、あんた何しに来たの？」
「ん？ああ、これを届けに来たんだ」
「何かしら？」
その質問にグローウォームが答えるより早く、メロディがカウンターから顔を
出し、包みの匂いをかぎ始めた。
「クンクン・・・あーっ！これアリサちゃんのケーキだー！！」
本来ならそれに答えるべきグローウォームは、目を丸くしてメロディを見つめ
ている。
「び、びっくりした・・・」
「驚いた、グロウくん？」
グローウォームの驚きぶりがおかしかったらしい、シーラはクスクスと笑いな
がら問いかけた。
「あ、ああ・・・いきなり出てくるんだもんな」
「グロウちゃん、なんでケーキをもってきたの？」
未だ驚きから立ち直れないグローウォームに、メロディは無邪気な好奇心をも
って尋ねかけた。
「ん？ああ、アリサさんからのお礼だよ。看病を手伝ってくれてありがとうって。
一応、俺を運ぶのを手伝った全員と看病の手伝いをしてくれたトリーシャの１
１人に分けてくれってさ」
「どれどれ」
左手だけしか使えないグローウォームに代わってパティが包みをほどく。
「わぁ・・・」
シーラが感嘆の声を上げる。その中には、小さいチョコレートケーキが整然と
並べられていた。
「さすがアリサおばさん。おいしそうね・・・あら、何かメモが入ってる」
パティはケーキに添えられていたメモに気付いて、それを拾い上げた。
「なになに・・・『グロウクンへ、１個はおつかいを引き受けてくれたお礼です』
だって」
「何だそりゃ？」
「このケーキ、１２個あるから・・・１個はグロウクンの分じゃないのかしら？」
「俺に気を使わなくてもいいのに・・・」
シーラの推理を聞いて、グローウォームはため息をついた。そんなグローウォ
ームをなだめるようにパティが言った。
「ま、あんたの分もあるんだから、ちょうどいいじゃない。お茶入れてあげるか
ら飲んでいきなさいよ」
「ありがたく、もらうことにしよう」
グローウォームは、微かな笑みを浮かべて応じた。その一言で、４人の間に和
やかな空気が流れた。と、その直後、
「はっ！来るわね、あいつ！！グロウ、そこどいて！！」
「へっ？」
突然険しい表情になって叫ぶパティに、グローウォームは反応が遅れた。戸惑
う彼に、パティはいらだって叫んだ。
「あーもう！いいからそこでじっとしていて！！」
叫ぶと同時にカウンターとグローウォームの（無傷の）左肩に手をついて飛び
こえると、扉に向かって突進した。だが、やはり最初の出遅れがひびいた。パテ
ィが扉にたどり着くより早く、古い扉には過酷なほど勢いよく開け放たれた。
「ねーねーねーねー、この間拾った行き倒れがさぁ・・・」
「ピート！あんたは！どうしていつもいつも、もっと静かに入ってこれない
の！？」
元気一杯のピートの声を遮るように、パティがかみついた。さらに何か言いつ
のろうとする彼女を、別のダミ声が邪魔した。
「このガキゃあ！何しやがるんでぇ！！」
いかにも「そこいらのチンピラでございます」という風体の男が２人、ピート
につめよった。ピートはきょとんとした表情で尋ね返した。
「あれ？どっかしたの？」
「どうかしたじゃねぇ！てめぇが開けたドアがおれっちの頭にぶち当たったんだ
よ！どうしてくれるんでぇ！！」
「あ、そうだったんだ。悪い悪い」
屈託ない笑顔で謝罪するピートだが、それでチンピラ達は納得などしなかった。
まぁ、最初から納得する気もなかっただろうが・・・。
「なめてんのか、このガキ！！」
あまりにお約束な怒声と共に、チンピラの１人（以後、チンピラＡ）が殴りか
かろうとしたのだが・・・
「ちょっと、あんた達！ここで暴れるんなら出ていってもらうわよ！！」
「うっせぇ！引っ込んでろぃ！！」
パティの制止の声にチンピラＡは荒々しく応じた。そんなチンピラどもに、階
段の方から冷ややかなくらい落ち着いた声が投げかけられた。
「まったく、酔っぱらいってのは始末におえないね」
「リサさん！」
シーラが顔を輝かせた。くすんだ銀髪とそれとは対象的な褐色がかった肌が印
象的なリサが、声同様の冷ややかな表情でそこにいた。シーラの呼びかけに少し
の間だけ微笑んだが、すぐに不愛想な表情に戻って酔っぱらい達に向き直った。
「さて、と・・・あんた達、これ以上何かやらかそうっていうんなら、私がここ
から叩き出してやってもいいんだよ」
「うるせぇってんだ！女は引っ込んでろぃ！！」
「へぇ・・・」
リサの表情が、一瞬にして剣呑なものに変わった。腰に下げたナイフに手をか
けて、一歩前へ踏み出す。
「ちょっとリサ！リサまでそんな挑発に乗ってどうすんのよ！！」
「いいや、パティ。こういう手合いには、１度痛い目を見せた方がいいんだよ」
そう言ってリサはチンピラＡをにらみつけた。その結果、あぶれる形になった
もう１人のチンピラ（以後、チンピラＢ）はリサの隣にいるシーラに気付いた。
「よおよお姉ちゃんよぉ。俺っちに酌してくんねぇかぁ？」
身の程知らずにもシーラに近づいたが、こんな酔っぱらいに彼女が恐怖を覚え
ないはずがない。
「やっ・・・」
チンピラＢの手から逃れようと身をよじるシーラ。彼女の肩を抱こうとしたそ
の手を、今まで沈黙を保っていたグローウォームがつかみ上げた。
「いててっ・・・」
「いい加減にしろ。見境なしにわめきやがって、うっとうしい」
苦痛の声を上げるのにも構わず、グローウォームは冷淡に言い捨てた。チンピ
ラＢを見る目も氷の様な冷えた光を放っている。だが、酔っぱらっているチンピ
ラＢはそんな剣呑さに気付かない。それどころか、グローウォームの怪我に気付
くと、今度は彼にからんできた。
「おうおう、兄ちゃんよう。女の前だからっていい格好しようとすると、その怪
我さらに悪くするハメになるぜぇ」
あまりにお約束なからみかたに、グローウォームは沸き起こる失笑の発作を苦
労して押さるはめになった。その態度がチンピラＢのかんにさわった。
「なに笑ってやがる！！」
「いや、大した事じゃない。どこでも、チンピラだの酔っぱらいだのは同じ事し
か言わないと思っただけさ」
グローウォームは相手の手を放してやると、左肩だけをすくめつつそう答えた。
この回答よりも、グローウォームのその態度がチンピラＢを逆上させた。
「この・・・！！」
怒りにまかせて殴りかかるチンピラＢ。だが、その一撃は、グローウォームが
軽く上体を反らせただけでかわされた。それどころか、かわしたグローウォーム
は左手を無造作に伸ばし、相手の手首をつかむとそのまま腕をねじり上げた。
「いててっ・・・」
「おおげさに痛がるなよ。腕をねじっているだけだろ・・・。ところでパティ」
面倒くさげに言い捨てると、目の前の光景に呆然となっているパティに話しか
けた。
「えっ！？何！？」
「こういう不届き者は、店の外に叩き出してかまわないのかな？」
「え、えっと・・・」
「かまわないよ。遠慮なく、叩き出しちまいな」
戸惑うパティに代わってリサが断言した。その声にグローウォームは軽く頷く
と、こう言った。
「それじゃ、放り出してくるよ」
「ふざけんな、てめぇ！！」
今までリサとにらみ合っていたチンピラＡが怒号を上げて殴りかかった。
「グロウくん！！」
「ちっ！！」
シーラが悲鳴を上げ、リサが舌打ちと共に一歩踏み込む。だが、グローウォー
ムが起こした行動は、それらの動きよりも早かった。
彼は殴りかかってくるチンピラＡの姿を認めると、すかさずチンピラＢの腕を
放し、続く一動作でごくわずかに体を右に滑らせ、相手の拳に空を切らせた。そ
して、がら空きになった相手の首に左手をあて、軽く力をこめた。
この一連の動作があまりに早かったため、チンピラＡは何が起こったのか理解
できなかった。ただ、自分の首に何かが触れたと思ったら、自分の体から急に力
が抜けたことだけは分かった。そして、その直後、彼の視界は急転した。
なんのことはない。グローウォームが、首にあてた左手でチンピラＡを床に叩
きつけようとしたのだ。ただし、叩きつけたのはさくら亭の床ではない。チンピ
ラＡの頭だけを、ひざ蹴りの要領ではね上げた自分の右ひざに叩きつけたのだ。
どんなに頑丈な者でも、こんな一撃を食らってはたまらない。チンピラＡはあっ
けなく気絶してしまった。
「て、てめぇ！よくも！！」
ありきたりなセリフと共に、今度はチンピラＢが殴りかかった。それを視界の
片隅で認めたグローウォームは、チンピラＡを床に転がすと、再び行動を起こし
た。最初の時同様、早いくせにその早さを感じさせない滑らかさをもって身をか
がめ、相手の一撃をかわした。その勢いで相手の背後に回り込むと、左腕でチン
ピラＢの首を絞め上げた。
「ぐっ・・・」
「おとなしくこの店から出ていくか、それともこのまま絞め落とされるか、好き
な方を選べ」
素っ気ないほど静かに言ってみせる。チンピラＢはなんとか絞め上げてくる腕
を振りほどこうと試みたが、無駄であった。それどころか、絞めつける力はます
ます強くなっているように感じられた。しばらくすると、声を出すことさえ出来
ないまま、チンピラＢは口から泡をふいて気絶してしまった。
「ふう・・・」
グローウォームは１つ息をつくと、チンピラＢを放してやった。意識のないそ
の体は、その場に崩れ落ちた。
「大丈夫かい、ボウヤ？」
「ああ、心配ない」
リサに答えるグローウォームに、パティが呆れたように叫んだ。
「ちょっと・・・あんた、左腕一本でノシちゃったの！？」
「そうだよ。この程度の連中なら、左腕だけで何とか出来るさ。・・・物を壊さ
ないようにする方が大変だよ、どっちかと言えば」
いたって穏やかな表情で、グローウォームはあっさりと答える。そう言われて、
パティは初めて気がついた。グローウォームはさくら亭の物を壊さないように、
殴り合いを避けていたということに。それを可能にするだけの実力に、パティは
思わず呆れてしまった。
「それにしても、やるねぇ、ボウヤ」
リサが感心した口調で話しかけた。
「ああも早くに頚動脈を押さえるなんて」
「そうか？」
「あの、頚動脈って・・・」
グローウォームとリサの会話についていけないシーラが、おずおずと問いかけ
た。
「ああ、首のここん所、押さえてごらん」
リサが自分の首の一点を指し示す。リサにならって、シーラが首を押さえるの
を確認すると、
「そこいら辺、トクトクいってるだろ？」
「あ、はい、弱いですけど・・・」
「それが頚動脈って言ってね、そこを強く押さえると頭に血が回らなくなって、
貧血を起こしたのと同じ症状が出るんだよ」
「長く押さえると気絶する」
リサの説明に、グローウォームが補足を入れる。
「で、このボウヤはとっさにそこを押さえて、このチンピラ連中を気絶させたっ
てわけ」
「でもそれって、難しいんじゃぁ？」
「難しいよ。だから私は『やるもんだ』って言ったんだ」
「まぁ、傭兵稼業を長いことやっているとね・・・」
グローウォームはくすぐったげな苦笑をもらしつつそう答えると話題を切り替
えた。
「ま、そんなことより、こいつらをさっさと・・・」
「どうしたんだい？」
「いや、こいつらを放り出そうと思ったんだが・・・困ったな、左手だけじゃ２
人一度に放り出せない」
リサの問いに、彼はそう答えた。大真面目に、そして心底困ったようにそんな
ことを言うものだから、その場にいたものはほとんどが絶句した。そして「ほと
んど」に属さなかったパティは呆れかえって叫んだ。
「あ、あんた、一体どういう性格してんのよ！！」
「変か？」
「変とかいうんじゃなくて・・・」
説明に困ってパティが口ごもってしまうと、リサが笑いながら言った。
「ま、放り出すくらいは手伝うよ」
「助かる」
真面目に応じると、グローウォームはチンピラＡの後ろ襟をつかんで出入り口
から放り捨てた。続いて、リサがチンピラＢを投げ捨てる。
「すっげー」
その光景を黙って見ていたピートが歓声を上げる。するとパティがこの騒ぎの
原因が誰にあるか思い出したらしく、怒りの矛先をあらためてピートに向けた。
「感心してる場合じゃないでしょ！そもそもあんたがもっと静かに入ってこない
からこうなったんじゃない！！」
「う・・・そりゃそーだけどさぁ・・・」
やはり、引け目を感じるらしくちぢこまるピート。そんな２人を引き分けるリ
サ。
「ま、大事にならなかったんだからいいんじゃない。それよりピート、何かあっ
たのかい？」
「おっ、そうそう！この間見つけた行き倒れが、もう、元気になったって話なん
だけどさぁ」
パティとリサは何とも言いがたい表情で、お互いの顔を見合わせた。「この間
見つけた行き倒れ」とはおそらくグローウォームの事に違いない。２人が顔を見
合わせたのは、その事実をどう告げるか迷ったからだ。パティはたったそれだけ
のためにこんな騒ぎを引き起こしたのかと怒鳴りたくなり、一方のリサは視線だ
けでそんなパティをなだめていた。
この難題をあっけなく解決したのは、メロディの無邪気な一言であった。
「ふみゅ？それってグロウちゃんのことですかぁ？」
「えっ？メロディ知ってるのか！？」
「だって、グロウちゃん、そこにいますよ」
そう言ってグローウォームをゆび指す。その一言に、ピートの目が点になった。
「ホント？」
「ここ１週間で行き倒れが何人も出た、というのでもない限りは、俺の事だろう
な」
そう言ってグローウォームは頷いた。途端に、ピートは騒がしさを取り戻した。
「そっかぁ。すっげぇなぁ、あん時は死んでるんじゃないかって思ったけど、も
う歩けるんだ。あ、オレ、ピート、よろしくね」
「その事を知っているってことは、お前も一緒に助けてくれたんだな。ありがと
う、グローウォーム・グレイフォードだ。グロウでいい」
「あいさつが済んだ所で・・・ピートぉ〜！」
表面だけは笑顔（もっとも、口の端が引きつっていたが）のパティが、怒りの
こもった口調で話に加わった。その剣呑さに、ピートは早くも逃げ腰になり、無
関係なはずのグローウォームも少しのけぞった。
「うっ・・・わざわざ蒸し返さなくてもいいだろー。しつこいパティって嫌いだ」
「嫌いで結構よ！今日という今日は・・・」
「あの２人はいつもああなのか？」
ピートとパティの様子を呆れたように見つめつつ、グローウォームは問いかけ
た。
「まあね、ピートの方は何度言っても無造作に入ってくるし、パティは店を乱暴
に扱われるのを許せない性分だからね」
「やれやれ、俺達は、いつになったらお茶を飲めるんだ？」
リサの返答に、グローウォームはため息をついた。
ちなみに、彼の疑問に対する正解は、２０分であった。
ふみぃ？グロウちゃんがきたばかりのときのことですかぁ？あのころのグロウ
ちゃんは、なにかにすごくびんかんでしたぁ。よく、うしろをふりかえっていた
りしてましたよ。
メロディ・シンクレアの証言
「こっちですぅ〜」
メロディが明るい表情で右側をゆび指す。その隣に並ぶテディも大声でグロー
ウォームをせかした。
「グロウさん、はぐれちゃ駄目っスよ」
「お前、俺の事を何だと思っているんだ？」
苦笑混じりにグローウォームは応じる。
彼は今、メロディの道案内で旧王立図書館に向かっていた。目的は残りのケー
キを配ること。シェリルやトリーシャ達がそこにいると、メロディが教えてくれ
たのだ。そして彼女は、旧王立図書館に行くグローウォームに、「メロディもい
っしょにいきます〜」と言ってくっついてきたのだった。
メロディの指示に従って曲がる時、ほとんど習性に近い無意識さでグローウォ
ームは今来た道に視線を走らせた。すると、１人の男が彼の注意を引いた。男自
身はさして目立つ方ではない。ごくありふれた傭兵風の服装をした男だ。この男
が、グローウォームの注意を引いた最大の理由は、男の視線だった。その視線は
グローウォームの足元に向けられていた。相手を尾行する際に注視する部分であ
る。
（何の真似だ？）
グローウォームが視線だけでそう問いかけると、男は体を硬直させた。自分の
存在が気付かれるとは思っていなかったのだろう（実際、見事な尾行だった）。
半秒ほどそうしていたかと思うと、男は何か落とし物でも探しているかのように
きょろきょろしながら歩み去った。いたって自然な動きではあったが、グローウ
ォームに確信を抱かせるには十分な不自然さであった。
（もう来たか・・・）
ため息をつく。いずれこの街にも追っ手が来ることは予想していたが、現実に
なったからといっても全く嬉しくなかった。むしろ憂鬱な気分になった。
（早いとこ、ここを出なきゃならないな・・・）
「グロウちゃん？」
唐突にメロディが呼びかける。それで彼は思考の世界から現実に引き戻された。
「え、何？」
「どうかしましたかぁ？ボーッとしてたのぉ」
「ああ、ちょっと考え事をね。大したことじゃないよ」
「グロウさん、まさか、出歩けるようになったからエンフィールドから出ていこ
うなんて考えているんじゃないっスか？」
「あのなテディ、『怪我が治るまでここにいる』ってアリサさんと約束している
んだぞ。完治してないのに出ていけるか」
「ならいいっスけど・・・」
テディはどことなく心配であった。魔法生物のカンで、グローウォームのよう
なタイプは本心を全て話さないことを悟っているようであった。そんな心配を断
ち切るようにグローウォームは言った。
「ほら、早く図書館に案内してくれよ。ケーキが傷んじまう」
「はーい」
メロディはにっこり笑って頷くと、グローウォームの前に立って案内を再開し
たのだった。
え、グロウさんの事？僕でいいのかなぁ・・・。最初会った時は自分の事を教
えたくもないし、僕たちの事も知る気はなかったみたいです。それが変わった時？
ジョートショップで働くようになってからだったと思いますよ。・・・今でも旅
に出る前のことは話してはくれないけど。
クリストファー・クロスの証言
旧王立図書館。リヴェティス劇場と並んで、エンフィールドで最も古い建物の
１つであり、旧王国時代、王族、貴族といった人々が避寒地としてこの街を使っ
ていた頃、王都と変わりない暮らしが出来るようにと建てたものである。
そうであるがゆえに、この図書館の蔵書量は大陸でも屈指のものである。元が
元だけに、今では貴重極まりない書物の原本、あるいは写本が大量に残されてい
るのだ（もっとも、整理未了の部分がかなりの量を占めるため、その実体は不分
明だが）。
と、いった事を、グローウォームはシェリルやトリーシャ、そして初対面のマ
リアやクリスとの雑談から聞かされていた。
そんな５人を、本棚の陰から見張る男がいた。別に本を探すでもなく、じっと
彼らを見ているのだから、ものすごく目立っていた。そんな男に、背後から静か
な声がかけられた。
「何をしてらっしゃるのかしら？」
「えっ！？」
男が慌てて振り返ると、そこには美しい黒髪の、知性や理性を強く感じさせる
女性がじっと男を見つめていた。
「ここは図書館です。人を見張るための場所ではありません」
「え・・・あ・・・」
男はくちごもった。どう答えたか迷っているようであり、（彼にとっては）唐
突な質問に動揺しているようでもあった。
「答えられないのですか？」
「そ、そういうお前は何なんだ？」
「私はこの図書館の司書です」
いささか不躾な反問に、彼女はあっさりと答えた。そして重ねて問い質した。
「もう一度お聞きします。何をなさっているの？」
ごまかしが一切通じない相手に、男は完全にうろたえていた。どうするべきか
判断出来ずにいると、別の人物が話に加わってきた。
「どうかしたの、イヴ？」
「あら、デアリングさん。いいところに」
イヴは微かに表情を和らげたが、和らげただけと言った方が良かった。男を追
及する手は全くゆるめなかった。
「この方の挙動がおかしいので何をしているか聞いていたの。自警団のあなたに
協力していただきたいのだけど」
「いいよ」
どちらかといえば華奢な印象を受ける痩身のデアリングは、あっさりと頷いた。
そして、穏やかに男に問いかけた。
「じゃあ、まず、名前とどこに住んでいるのか、聞かせてもらえますか？」
「いや、その・・・」
口ごもる男に、デアリングは少し口調を強めて、さらに問いただした。
「答えられないくらい、まずい事をしているんですか？」
「ちっ！」
男は忌々しげに舌打ちをしたかと思うと、いきなり窓に向かって突進した。デ
アリングはすかさず男の前に立ちはだかろうとしたが、男の動きは、彼のスピー
ドを上回っていた。男はデアリングの手から逃れると、窓を開け、そこから飛び
出した。
「ここは２階・・・！」
デアリングが驚きの声を上げる。間を置かずに窓から見下ろすと、男は見事な
身のこなしで着地し、そのまま建物の中へ逃げ込んだ。
「なんとまぁ、逃げ足の早い・・・」
「本当ね」
追跡不能を悟り、呆れたようなデアリングの呟きに、同じように見下ろすイヴ
が同意する。そんな２人に、この騒ぎを聞きつけたトリーシャが話しかけた。
「デアリングさん、イヴ、今の一体何の騒ぎ？」
「やあ、トリーシャ。いやなに、ちょっと怪しい人がいたもんだから、職務質問
をしたんだ」
「で、逃げられたんだ。デアリング、まっぬけー☆」
「２階から飛び降りるなんて考えなかったからね。それより、君たちを見ていた
みたいなんだけど、心当たり、ない？」
マリアの遠慮ない評価に、デアリングは苦笑混じりに反論してさらに質問した。
その質問に、４人は顔を見合わせた。当然、心当たりなんてあるわけがない。た
だ１人、グローウォームだけが落ち着いた、しかし鋭さを保った表情で窓から見
下ろしつつ呟いた。
「ここから・・・飛び降りたのか？」
この図書館の２階は並の建物の２階より高い位置にある。ここから飛び降りる
というのは、他の建物でいうと３階くらいの高さから飛び降るのに等しい。そん
な事をやって、怪我をするどころか、俊足飛ばして逃げおおせるというのは並大
抵の事ではない。
だが、グローウォームはそういうことを平気でやってのける連中のことを知っ
ていた。この一件と先の尾行者の事を考え合わせて、彼は１つの結論を導き出し
ていた。
（まずいな・・・）
その結論に、彼は危険を感じていた。早急に手を打つ必要がある。だが、この
怪我ではほとんど何も出来ない。
（満月までに、この怪我が治るといいが・・・）
怪我が完治に必要な時間はあと２週間。ちょうどその時、エンフィールドは満
月の夜を迎える。
エンフィールドの北に位置する誕生の森。アリサがグローウォームを見つけた
場所であり、メロディが最初に目撃された場所でもある。この森の奥深くには魔
物が出ると言われ、本気で忌み嫌う人もいる。だが、世の中にはそんな忌み嫌う
ような場所に寝起きする事を好む、酔狂な人もいるのだ。
彼らは、あえて人目につかないよう、注意深く野営していた。今、そこへ２人
の男が戻ってきた。１人はグローウォームを尾行していた男。もう１人は図書館
でイヴとデアリングに質問された男であった。２人は野営地に入ると、真っ直ぐ
１つのテントに入った。そこには、３人の男達がいた。
「目標の追跡に失敗したらしいな」
「申し訳ありません。まさか、こちらの追跡に気付こうとは・・・」
「目標は自分が追われている事を知っている。警戒しているのは当然だ。それま
で考えなかった君のミスだ。だが・・・」
男の１人は、イヴに見つかった男に視線を向けた。
「それはまだいい。問題は君だ。追跡に夢中になるあまり、一般人に見とがめら
れるとは失態以外の何物でもない」
「は、はい・・・」
「何にせよ、君らは顔を見られた。あの街には顔を出すな。追跡には他の者を使
う」
男は素っ気なく言い、あごをしゃくって退出するように命じた。すっかりうな
だれた２人が出ていくと、男は吐き捨てるように言った。
「無能者め、わが組織の恥だ」
「ま、そう嘆いてもしかたがない」
もう１人が肩をすくめつつ応じる。最後の１人は苦笑しつつかばった。
「ま、あの程度でも、今回の仕事の、最後の実行部分をこなす程度は出来よう」
「出来なくては困る。我々の信用にも関わることだぞ」
「そう、いらつくこともあるまい。目標と、目標の持つ矛の存在を知った者を全
て抹殺するだけのこと、我ら選ばれた者にとっては不可能ではない」
「当たり前だ。我らに対抗できる者など、この世に存在しない。だがな、逃げお
おせることはありえるぞ」
「それはありえん。目標は、己の傷が癒えるまでこの街を出ていかないと言って
いる。癒えるのは月が満ちるちょうどその日。目標が逃げ出せるようになるそ
の日に、我らも仕掛けるのだ。逃げおおせようはずがない」
「で、あるなら、この目標の命、あと２週間ということになる・・・」
男はそう言って一枚の紙に視線を落とした。その紙には、グローウォームの精
密な似顔絵が描かれていた。
後書き
松です。「全ての始まり」の前編をお届けいたします。公言した通り、シーラが
登場。ま、初対面の彼女なら、こんなもんかなぁ、と。
そして、さくら亭での大立ち回り。グローウォームは結構強いです。リサと五分
に渡り合える実力なんで、酔っぱらったチンピラ２人など片手であしらえる、とい
うわけです。そんなわけで、彼の場合、パティの「アフター・ザ・ファイト」はそ
もそも成立しません（笑）。
やたらに露骨な伏線張りをやっていますが、大体は中編で片づくはずです。次は
マーシャル武器店でエルが登場。そして、今回出てきた謎の人とのバトルでアリサ
さんが活躍します（別に机や漬け物石を投げて活躍するわけではありません、あし
からず）。
あ、今回、登場した自警団員、デアリングは「２ｎｄ」のＳＳの主人公です。
「１」のＳＳでもちょろちょろと登場する予定なので、ここで登場しました。
感想、ご意見などは掲示板へどうぞ
松